依存という言葉の使い方が厄介だ。(ゲーム依存症について考えるシリーズ ③

「スマホに依存しているでしょ?」と聞いたら、聞かれた方がどう受け取るだろか?
聞いている人はどういう意味で聞いているだろうか?
これだけではさっぱりわからず、厳密な会話にならない。

そして、昨日の書いた文章にでてきた本の中の依存症(アルコール依存症などの医学的な用語)は、すでに社会生活に重篤な問題が発生している件を扱っている。
あれを依存としてしまうと、他のことが依存ではないとか、そういうことになってしまって話がややこしくなる

確かに、世の中には、一日中スマホゲームに夢中になって他のことをほとんどしない人がいるのかもしれないが、ほとんどのスマホゲームは、そんなことにならないような設計になっている。どちらかというと、一定時間で終わるように設計され、それが、毎日やるような習慣化的に設計されている

だから、多くのスマホゲームのプレイヤーは、何も他が手につかないみたいな重篤な状態ではなく、もっと、わかりにくい、状態であると思う。

こんがらがった話をリストにしよう。
・ハードウェアによる分類
・OSによる分類
・ソフトウェアによる分類
・複合的に生じる問題
・多機能デバイスによる従来の置き換え問題
・架空対象に価値を感じてしまう問題
・架空のゲームが、ゲームをしてないときも、あるように感じるような問題

僕が今興味あるのは、
①つ目は、
PCやスマホという、汎用PCが、いつのまにか従来の道具を置き代えていってしまっていく現象だ。
そしてこれは、純粋な依存の関係になる。
LINEのアプリで連絡を取っている人は、文字通り、スマホという道具に依存してコミュニケーションをとっている。
そしてこういった汎用PCに依存関係が進むと、おそらくだが、あらゆることが、それを通して実行されるようになり、例えば、手紙を書く道具だとか、やり方だとか、作法だとかが、身の回りからなくなっていき、しようとも思わなくなり、そして、いざやろうとしても、できなくなってしまうという状態に陥るのではないのかと思う。
まあ、よくある話でいえば、いつも、スマホでメールを打ってコミュニケーションをするようになったので、漢字を鉛筆で書こうとすると、鉛筆も、ノートもないし、漢字を忘れてしまってて、思い出せないとか。

そして、こういのがどんどん拡大していけば、自己実現や、現実逃避や、工作や、娯楽、友情、冒険、
など、そういったものも、汎用PCに飲み込まれていく可能性がある。
例えば、昔なら、子供が冒険するといったら、現実で冒険しただろう、知らない町や空き地にいって、基地をつくったり。
それが、今ではマインクラフト内で似たようなことができてしまうし、そっちの方が安全だ。

ゲームソフトだけではなく、さまざまなソフトウェアとインターネットを組み合わせれば、ほとんどの人間の欲求を代替していくだろう。
最近だと、Vtuberが何が従来の大事なものを置き代えていっているように思う。

この様に、従来ではさまざまな道具や環境を利用していた、行動や欲求が、汎用PC機を土台とした依存構造で形成されるとこで、それの使用時間が膨大になる結果が起きているのではないのか。という推測である。

この話のやっかいなところは、置き代えていると錯覚しているが、実はさっぱり置き換わってない部分多いのではと思うところだ。

つまり、なんか楽でめんどうじゃないから、そっちへ流れてしまってそうなっているが、実は本来のことはできていなくて、ただ架空の技術や、錯覚させる技術を使って、やっている気になっているというのが現状でないのか。という話である。
そして、それがゲームソフト技術が得意とすることだ。