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富裕層は海外に行き、貧乏人は日本を憂う

我が家は国内旅行も海外旅行もあまり行くことがない。

仕事でニューヨークとパリと松山に滞在したことはあるが仕事内容の関係性でほぼ外で観光することはできなかった。ただ、夜の街灯の美しさや音、匂いなどはいまでも覚えている。

旅行をする目的を単純に考えると、みたことがない場所や行ったことがない場所に行きたい。

見たい、食べたい、知りたいなどの知識好奇心欲が大半だろう。

一方、今ここにある現状から逃げ出したいという切羽詰まった心理状態もあるだろう。

一昔前ならば日本以外にちょっと行けば携帯が繋がらないのは当たり前、国際電話だ、シティバンクだ、と、日本にいる人が連絡を取るのも大変、お金の管理をするのも手間がかかるので一時的な失踪感が可能だったわけだけど、

今はどこにいても携帯は繋がるしメールはどんどん送られてくる、動画で会社の会議に参加できるし、お金の管理も容易い反面居場所がすぐにわかる。海外という発想はもうなく、意味は同じだが、表現が日本以外の場所という認識の方が思考回路的に落ち着く。

今暮らしている場所も誰かにとっては観光地で旅行先で特別な場所なわけだけど、日常の中に溶け込んでいると輝かしい場所だとは到底思えなかったりもする。仕事する時間と睡眠時間、共同生活している人間つまり家族との時間を差し引くと残り時間が僅かなことに気づく。

他者との関わりの中で生まれてくる感情、発見はたしかに尊いのであるが、日本以外の場所に行かなければ分かり合えないのであれば必要ないと考察する。言語は他者との関わりで必要である。学ばなければ得ることはできないが、日本にいる、もしくは自国にいる中で可能である。海外のある場所に行くことで言語を学ぶのはひと昔の話。

例えば英語程度なれば、英語圏の人がたくさん日本にいる。彼女、彼らは日本語を話せて、母国語の英語を理解しているから微妙な文法の表現方法を日本語で説明してくれるので語学留学するより学びが多い。

例外なのはフランス語である。日本に住むフランス語を話す人も沢山存在しているが、フランス語をフランス語圏で使用するときは日常なれば問題ないだろうが、ビジネスのなかでは全く使い物にならない。フランス語圏に産まれ直さなければ無理だろう。生まれ持って奇跡的にフランス語の舌をもっていればいいが、知る限り存在しない。通訳を頼む時も、充てられる時も、日本語を話せるフランス語圏の人である。日本語に関してはあやしい時もある。どちらが寛容という意味ではなく、日本語が完璧でなくても比較的日本人は受け入れる国民性であると理解している。

語学留学に内容が逸れたが、海外旅行、海外留学、語学留学という流れが日本のなかである一定数主流であることに疑問を感じていたので書いてみました。

慣例のようになっているなかで大きく変化するキッカケになってきたのはコロナ渦という状況ではないだろうか、暮らすように日本以外に行けることは容易でなくなり、経済状況が大きく変わったことによって日本よりもコストの低いところに永住するという選択はかんがえていても、行ったり来たりは難しい、つまり旅行をする余裕が精神的にも肉体的にもなくなってきている。

仕事はどこでもできるから海外に移住するという人が周囲で多い中で思うことは、わざわざ海外に行かなくても日本の地方は空き家が多いというのは有名な話で、買うにしても限りなく安く買えるか賃りられるので住むところは困らないし、食べ物も世界水準で見ても安く美味しい。山の中の一軒家とテレビで放送されているが、海外はあの程度の距離感はよくある。国土が広いというのもあるが、隣の家が見えないというのは当たり前に近い。

日本はまだ銃社会ではないので罪に対する垣根が飛び越えにくい為比較的治安が良いと言える状態である。群馬や川崎にここは移民を受け入れている場所なのだろうか、と思うぐらいに様々な国の人が住んでいる。大手の食品工場や製造工場などで働きながら住む人が少なくなった団地や空き家に住んでいる。1週間ほど近所に滞在してみたが日本独自の治安や食文化は守られながらさまざまな異国の文化を体験でき、逞しい生き方を学んだ。日本は、税制上優遇されていないと言われているがとんでもなく優遇されている国であると認識した。

何故、日本に住んだほうが良いのに海外に住みたいと思うのか、国籍は日本のままで海外に半年以上滞在記録があると税金は実質払わなくて良いという素晴らしくアホ制度があるからである。税金を払う人がいなくなると簡単に国は滅びていくわけだけど、自らの利益のみしか考えない人が増えて、コロナ渦で動画でしか仕事しない人が増えてみんな日本以外に行って、日本のいいとこ取りばかりしてたら、いつのまにか日本の良いところは無くなってしまうだろう。

西成の不動産会社all、福岡の牧師、そのほかにも全国で住む場所と食べることに困っている人を手助けしている人達がいる。富裕層が悪い人であまりお金がない人が尊いという話でなく。何故、慈善をうりにしている大きくて有名な団体や、ありあまるほどの富がある会社や、個人は税金を少しでも払いたくないことを考えるだけで、存在を隠されている人達を少しでも助けたいとはまるで思わないのか。

日本の将来を心配しているのは、ある一定のあまり裕福ではない人々が多い。私財を限界まで出して体力を酷使して尽くしている。財力のみでどうにかすることはすごく難しいけれど、財力は大きなとっかかりを作ることはできる。つまり、富裕層の人が何か良いことをしようと、日本を良くしようと思うと大きな行動ができるのだけれど、寄付を大きな団体や国にするだけで、救われる人は少ない。困っている人が多数で富裕層は少ないから多数の人が幸せになれたら国も豊かになり、結局富裕層に還元されるのに、日本を見捨てて海外で好きなことをして、好きな時に日本にいる。

もう少しだけでいいので、自分の利益だけじゃなく、他者の利益と幸せを考えてください。日本が循環良くなり、自分に回り回って還元されることをそうぞうしてください。

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