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風で揺れる木々と精神について

人が心地良いと思う適度な風が流れて、木々が揺れる。

普段何気なく暮らしていると感情が動かされることなどないし、それが精神にまで到達することなど到底ない。

なんとか日々を生きていくために最低限の生活はひつようだから働くということを選択すると、ある程度の仕事は他者との共存がひつようである。

論客者のように、意味のない言葉を使い、好感度を一定度保ちながら他者と関わることは現実社会に生きている人間は難しい。自分の思想とは別に意味のない言葉を他者に投げかけることは、徹底的に他者と自分の区分けがしっかりできていることが前提であるからである。

論破はきっと誰にでもできるいとも簡単なことだろう。しかし、論破と説得は似ているようでまるで違う。

論破は相手が納得はできないけれど、それ以上言えることはない、逃げ道がなくなるまで追い込まれる。つまり、立場によって状況がかわる。自分より選択権がある相手を論破した場合、選択権がある相手は後からなんだかよくわからないけどこの話は無し、という結果になる。

説得は生きていく上で他者との間に欠かせない能力であり、1日に何百回と必要な場合もある。説得という言葉を使用しているが、説得しようとしてると相手に観ずかれれば終わりで、自分だけが満足する内容でわかりやすい内容だとしても他者がわからなければまるで意味がない。まだ確定した答えはなく、時として説得の手法として喧嘩する場合もある。それは近しい相手に愛を伝える場合も同じ。

精神は思想の仲間みたいなもので、遠く離れている人と繋がってるかのように思想の共通点を感じ、精神が旅をする。

それは時として種族も超えて、猫と人間は違う生き物であるというかていだが、猫とある時ある時間は精神の旅に行ける時もある。

木々が風がないのに揺れてなぜ揺れたのか考える。それは意識せずに思想に繋がり精神の旅に出る。その時間は限りのない自由な時間で心地が良い。


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