幕間 待降節
それはクリスマスも近づいた、ある午後のことだった。
忙しそうに降誕祭の準備をしているジムゾンと、それを退屈そうに眺めているディーターの所にリーザとペーターがやってきた。二人は頬を紅潮させながらぱたぱたと駆け込んできて、ディーターの近くに来た途端こんな事を言いだした。
「ディーター兄ちゃん、クリスマスマーケットに連れて行って」
「はぁ?」
事の次第が良く飲み込めず、ディーターはあからさまに不審そうな返事をする。確かに待降節も始まりクリスマスマーケットの時期でもあるが、それを自分に連れて行けとせがむのかの理由が全く分からない。
「どうしたんですか? リーザもペーターもクリスマスマーケットに行きたいのなら、他の誰かに頼んだ方がいいんじゃありませんか?」
「待てジムゾン、それはどういう意味だ」
「いえ、別にそう言う意味では」
すると二人はジムゾンに向かって、まくし立てるように喋り始める。
「あのね、今年のクリスマスマーケットは隣村でやるの。行く時はヤコブさんが馬車で連れて行ってくれるけど、帰りは一緒に帰れないんだって。ヤコブさんはお店を出してね、それでね……」
「えーっとね、オットー兄ちゃんはお菓子の店を出して、ヨアヒム兄ちゃんはクリスマス飾りの店出して、カタリナ姉ちゃんは……」
「待てお前等、少し落ち着け。順を追ってちゃんと喋ってくれ。でもって、いっぺんに二人で喋るな」
二人の話を総合すると、今年のクリスマスマーケットは隣村で行われるようだ。
行きはヤコブが馬車で送って行けるそうだがヤコブは向こうで店を出すので帰りも一緒と言うわけにはいかず、かといって村にいる他の皆もおのおの店を出すらしく、子供達の面倒を見られる人がいないらしい。
隣村から帰るためには途中で森を抜けなければならず、夕方から夜にかけて盛り上がる祭りに子供達二人は危険すぎる。そこでディーターに白羽の矢が立ったらしい。
「皆で店出すって、モーリッツはどうした? 爺さんなら暇だろ」
その言葉にペーターは、少し元気のない表情でこう答えた。
「爺ちゃん寒くなってきたから、最近足と腰が痛いんだって」
ディーターは一瞬沈黙した後、天を仰いだ。
ここまで言われて断れるほど忙しくもないし、一生懸命準備をしているジムゾンの邪魔をするよりはこっちの方が遥かに楽しそうだ。だったら答えは決まっている。
「分かった分かった。ちゃんと自分の小遣い持ってこいよ、俺の金はあてにするな」
「えっ? じゃあ連れていってくれるの?」
「ここでだらだら腐ってるよりゃ、面白そうだしな。よしジムゾン、お前も行くぞ」
急に自分の名が出たことに、ジムゾンは驚いた顔をした。まさか自分まで行くことになるとは思ってもみなかったのだ。
「えっ、だって私、降誕祭の準備が」
「半日遊んで遅れる準備なら、もう手遅れだ。それに皆で行った方が楽しいよな、リーザもペーターも」
「うん、神父様と一緒にクリスマスマーケット行きたいの」
「ディーター兄ちゃんの言う通りだね、皆で行ったら楽しいよ。ねえ、神父様一緒に行こうよ」
やられた、とジムゾンは思った。子供達を味方につけられては勝ち目がない。
「分かりました。まずはお家の人に許可を取って、それから行きましょうね」
「わーい、じゃあ四時に村の広場で待ち合わせだよ。絶対来てよ、約束だよ」
来たときと同じように、慌ただしくぱたぱたと駆け出して行く二人を見ながら、ディーターはひらひらと手を振った。後には不思議な静寂と共に、ディーターとジムゾンが残される。
「ま、どうせお前もクリスマスマーケットなんかろくに行ったことないんだろ? 行ってみるのもいい経験だぜ」
「どうして知ってるんですか?」
「ん? なんとなくな」
「すまねえな、ディーターさんも神父様も。これが冬の一番の稼ぎ時だから、皆忙しいだよ」
馬車を操るヤコブはそう言って何度も頭を下げた。
「気にするな、よそ者の俺が村にいさせてもらってるんだ。これぐらいしたって、罰はあたらねぇ」
「そうですよ、子供達も楽しみにしてるんですし」
当のリーザとペーターは馬車の後ろで、ヤコブが作った藁細工のオーナメントを出したりして遊んでいる。それを見たディーターは「売り物なんだから汚すなよ」と言いながらも、一緒になって小さな天使を目の前でブラブラさせた。
「藁なのに上手く出来てるな」
「あはは、そんな物で良かったら、いくらでも持ってっていいだよ。あと、レジーナさんとオットーさんが『皆にサービスするから、後で来てくれ』って言ってただ」
それを聞いた途端、喜びながら自分が気に入った物を探し始めるペーター達を見て、ジムゾンは少し慌てた。子供達を止めてくれそうなディーターまで一緒になってオーナメントを物色している。
「持っていってもいいだなんて悪いですよ。大事な売り物なのに」
「いやいや、オラ達はこんな物でしか感謝の気持ちを表せないだよ。だから遠慮されると、ものすごく困るんだ」
ニコニコしているヤコブに困惑していると、急にジムゾンの目の前に青い服を着た天使のオーナメントがぶら下げられた。慌てて振り向くと、ディーターが笑いながらそれをジムゾンに手渡す。
「ほら、お前の選んでやったぞ。ヤコブ、一人一個ずつもらっていくわ。いくらでもって言われても、流石に何個も持ってっちゃ商売にならねぇからな」
その天使は、目鼻がついているわけでもないのにジムゾンの手の中で柔らかな表情を見せていた。その側では同じようにディーターとヤコブが笑っている。
「こういう時の遠慮は野暮ってもんだ。な、ヤコブ」
「そうだな。クリスマスプレゼントだと思って、遠慮しないで持っていってけれ」
こういう空気に慣れていないのは自分だけなのかも知れない。ジムゾンは微笑んで、小さく礼を言った。
「ありがとうございます。教会に飾りますね」
「そう言ってくれると嬉しいだよ。ほら、もうすぐ隣村だ」
村は、クリスマスマーケット一色だった。
「思ったよりもでかい市なんだな」
トーマスと一緒に店を出すというヤコブと別れたあと、ディーターは溜息をついた。
なにせ子供の面倒というものには縁がない。かといって、物珍しげにきょろきょろしているジムゾンもアテにはならなそうだ。自分に出来るのは、皆が迷子にならないように注意するぐらいだろう。あとはその場で何とかするしかない。
「ディーター兄ちゃん、お腹空いた。何か買って」
早速これか。
ペーターの無邪気な要望に、ディーターはちらりと子供二人を見た。
まあクリスマスだし、多少子供達におごって困るような金銭事情ではない。それに子供時代にこんな幸せそうなクリスマスを過ごしたことのないディーターにとって、ペーターとリーザの無邪気さが少し羨ましくもある。
「俺はそんなに金持ってないから買ってやれるのは二つまでだな。あとは迷子にならないように、ちゃんと確認しながら歩けよ」
「はーい、大丈夫だよ。僕、ちゃんとディーター兄ちゃん見失わないようにするよ」
「リーザも迷子にならないように、ペーターと手を繋いで歩くの」
何だか一人返事が足りないような気もするが、いい大人にそれを言うのも何だろう。まさか迷子になることはあるまい。ディーターは三人を連れて、ひとまず端の方から見て回ることにした。
人混みに気をつけながらそれぞれの店を眺めて歩く。だが、ディーターにとってそれが大きな誤算だった。
「ディーター兄ちゃん、僕ヴルスト食べたいから買ってもいい? あと、爺ちゃんにお土産も買わなくちゃ」
「リーザね、アーモンドとひまわりの種の飴がけが食べたいの。お店どこかな。オットーさんのお店で、クッキーも買いたいな」
「ディーター、すごいですよ。あの卵細工すごく素敵です。もっと近くで見ていいですか?」
……落ち着きがない。
ペーターはあちこち行こうとするわ、リーザははぐれないようにとディーターの服の裾を何度も引っ張るわ、ジムゾンはよそ見していて人にぶつかるわでゆっくり店を回っている暇が全くない。
ひとまず人の少ないところまで出て、何処を回りたいか皆に確認した方がいい。そう思ったときだった。ペーターが服の裾をぐいぐいと引っ張る。
「ねぇねぇ、ディーター兄ちゃん」
「何だ? 食い物か飲み物か、それとも飾り物か?」
「神父様がいなくなっちゃったよ」
「はぁ?」
気が付けばジムゾンの姿が見えなくなっている。おそらく何かに見とれているうちにはぐれてしまったのだろう。ディーターは頭を抱えた。
「ちょっと待ってろ」
こんな所で使いたくはなかったが、考え込んでいる振りをしながらディーターはジムゾンだけに届くように囁きを使う。
『こら、ジムゾン。お前何処にいる?』
『え? 何処にって……あれ? 皆何処にいるんですか?』
『それは、こっちの台詞だ』
ジムゾンは、どうやらさっきの卵細工の店にいるようだった。何か気に入った物があったのかやたらテンションが高かったような気がしたが、それは聞かなかったことにする。
「ペーター、リーザ。少し戻るぞ。多分どこかに置いてきちまったんだろ。お前達は迷子になるなよ」
「はーい」
人混みに逆らうように歩き、何とかジムゾンがいる場所までたどり着いた。ジムゾンはこっちが心配していたのを知ってか知らずか、楽しそうに笑いながら店の前に立っている。
「神父様がいなくなって、心配したの」
「ごめんなさい、リーザもペーターも。つい、これに見とれてしまっていたのですよ」
ジムゾンが指を指した先には、卵細工の中に聖母像が入れられている見事な物があった。扉もちゃんと開け閉めできるようになっており、かなり素晴らしい細工物である。
「へぇ、なかなかのもんだな」
ディーターがそれに感心していると、ジムゾンは言い出しにくそうに、こう切り出した。
「ディーター、二つまでなら買ってくれるんですよね」
「何が?」
「これ……買ってくれませんか?」
その言葉にディーターは、ハハハ……と乾いた笑いをした後、ジムゾンの頭を軽くこづく。
「何で俺が、いい身分の大人におごらなきゃならねぇんだ? 大体お前財布持ってきてただろ、自分で買え自分で」
「それが、財布を何処かに落としてしまったみたいで……」
もう何があっても驚かない。
ディーターは溜息をつきつつ、三人に言い聞かせるようにこう言った。
「いいか、お前等ここで待ってろ。一歩も動くな。ジムゾンの財布探してくるから、絶対動くな。動いたりはぐれたら暴れるからな」
「うん、分かったよ」
「リーザここで待ってるから、大丈夫なの」
「………」
「ジムゾン、返事は?」
「は、はい。動きません、大丈夫です」
本当かよと思いつつ、ディーターは人混みの中に紛れていった。
ジムゾンのことだ。落としたのではなくて、ぼーっとしているうちに財布をすられたのだろう。自分のようなならず者にとっても祭りはある意味稼ぎ時だ。
「……発見」
ジムゾンは教会の中で香を焚くので、着衣や持ち物に独特な匂いがついている。こんな所で人狼の能力を使うのも何だが、その匂いを頼りにディーターは財布をすった奴を見つけた。だが財布を取り戻すだけでは自分の苦労が報われない。そこでディーターは、半ば八つ当たり的に相手の財布もすることにした。ジムゾンが聞いたら怒りそうではあるが。
相手にそっと近づき、財布の位置を探る。金の匂いも独特だ。後ろから近寄ると、ディーターは財布を二つすり取ることに成功した。
「まだ腕は衰えちゃいないな。おっ、スリの癖に結構持ってやがる」
ジムゾンの財布はともかく、相手の財布の中身を確認する。ここからが腕の見せ所だ。
ディーターはその中身をいくつか抜いた後、もう一回相手に近寄った。
「クリスマスだから全抜きは勘弁してやるよ」
すれ違いざま財布が元々あった位置に、すった財布を返す。二度相手に近づかなければならないのでかなりの腕と自信がないと出来ないが、少なくとも中身をすられたことに気づくのは後のことだろう。臨時収入は迷惑賃だ。
ディーターは、意気揚々と三人がいた場所に戻る。
「ジムゾン、通りすがった店に財布届いてた。中身ちゃんと確認しろよ」
「あ、ありがとうございます……大丈夫です。良かった、これで卵細工が買えます」
中身を確認しながら、本当に安心したように笑うジムゾンを見て、ディーターは満足げに頷いた。
「じゃ、買い物済ませたらレジーナの店にでも行ってなにか暖かい物でも飲むか。ごちそうするぜ」
「えっ? 二つだけじゃなかったの?」
「気が変わった。いらないなら飲まなくていいぞ」
レジーナの店は、グリューヴァインや軽食の店だった。隣にはオットーの店があり、手伝いのカタリナが忙しそうにクッキーを袋に詰めている。
「よう、レジーナ。ごちそうになりに来たぜ」
ディーターがそう言うと、レジーナはカラカラと笑いながらグリューヴァインの入ったマグカップを手渡した。
「ディーターも神父様もすまないねぇ。グリューヴァインで良かったら飲んで暖まって行きな。あと何か食べたい物があったら遠慮しなくていいよ、すっかりリーザが世話になっちまったからね」
「いえ、私達も楽しんだからいいですよ」
ペーターとリーザは店の中にある椅子に座ってホットミルクとオットーからもらった菓子を食べながら、店で買ったものを見せ合っている。リーザは可愛らしい人形を買い、ペーターは綺麗な石を買ったようだ。
一生懸命グリューヴァインに息を吹いて冷ましているジムゾンに、ディーターはボソッと話しかける。
「クリスマスってのもなかなかいいもんだな」
「そうですね。クリスマスマーケットなんて初めてで、こんなに楽しいものだなんて思ってませんでした。いつもこの時期は伏せっていることが多くて。だから、ありがとうございます」
「よせよ、礼なんて」
マグカップから立ち上るスパイスの香りが鼻をくすぐる。
「……財布、ありがとうございました。今日は悪いことをしたのは見なかったことにしておきますね」
えっ? とその言葉にディーターはジムゾンを見た。気づかれる事はないはずなのに。
「どうして気づいた?」
「何となくです」
お互いの顔を見合わせた後、二人は大笑いした。その瞬間、空に大きな花火が上がる。
「まあ、今日はお互い様と言うことで」
「そうですね、お互い様と言うことで」
花火を見ながら二人はマグカップで乾杯した後、声を揃えてこう言った。
Frohliche Weinachten!
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