Were Wolf BBS ShortStory _Infektion

「痛っ!」
 穀物庫に出た鼠を退治しようとしたら指を噛まれた。
 向こうも生きるために必死なのは分かっているが、こっちも売り物にしなければならない麦が鼠に荒らされたのでは困る。その日は何だか雨になりそうな空模様で、畑仕事を早めに切り上げて鼠取りを仕掛けようとした所にちょうど隠れていたらしい。
 そいつは俺の指を噛んだ後、素早く穀物庫の外へと逃げていく。
「どうした、ヤコブ?」
「いや、鼠に噛みつかれた」
 それは怯えていたのかそれともびっくりしていたのか分からないが俺の事を思いっきり噛んできたようで、右手の中指がズキズキと痛む。血を止めるために口に手をやったのだが、思っているよりもかなり深く傷を負ったらしい。口の中にいつまでも血の味が広がる。
「どれ、見せてみろ」
 手伝いに来ていたディーターに傷を見せると、予想外にずいぶんしかめっ面をした。
「こりゃ早めに手当てした方がいいな、ずいぶん深くやられてるぞ」
「だな。雨も降りそうだし、早めに仕事を切り上げるか。多少の被害は天使の取り分だと思って」
 鼠に噛まれるなんて良くあることなのに、やけに傷が痛んだ。止血のために親指で傷口を押さえているのになかなか血が止まらない。それどころか、なんだか目眩までしてきたような気がする。俺は思わず持っていた鍬にすがるように立ち止まった。
 変だ……何かおかしい。これぐらいのケガで立っていられなくなるなんて。
「おい、大丈夫か? ずいぶん顔色悪いぞ」
「大丈夫……多分思ったより傷が深くて血が出たせいで体がびっくりしてるんだろ。ちょっと寝たらすぐ治る」
 俺はディーターの肩を借りながら家に入り、ベッドに倒れ込むように寝転がった。ディーターはその辺にあった布を細く裂いて包帯にし、俺の中指のケガを器用に手当てし始める。
「本当に大丈夫か? 何か変な病気とか持ってたんじゃないだろな、その鼠」
 ディーターはそう言いながら食卓にあった椅子を引っ張り寄せてベッドの側に座った。俺はその言葉に、ここしばらくのことを思い返す。
 鼠が病気を運んでくるときは大抵目に見えるところに鼠の死体が転がっていたりするものだ。それも不自然に何匹も。だが今回は特にそんな予兆もなかった。鼠が急に増えたりもしていない。
 俺は痛む右手を額の上にやりながらディーターに首を振った。
「その鼠が病気持ちだったとしても、噛みついてすぐ感染るって事はないな。俺もここしばらく忙しかったから疲れてたんだろ。二、三日して黒い斑点が出てきたら家ごと焼いてもらわないとまずいけどな」
「いきなり黒死病って事はないだろうな。多分働き過ぎも程々にって神様にでも言われてるんだろ」
 そう言うとディーターはフッと笑いながら立ち上がり、椅子を元々あった場所に戻す。
「鼠退治が面倒だったら猫でも飼えよ。スコッチの醸造所には麦を守るために猫がいるんだぜ。どこかで生まれたら一匹もらってきてやろうか?」
「……考えとく」
「じゃ……おっと、なんか明日ヴァルターが村人全員集めて会議するとか言ってたぜ。それまでゆっくり休んでな」
 何だか妙に眠い。一体俺は何の話をしていたのだろう……猫? 鼠?
 鼠……そういえば俺の指を噛んだやつは妙に鋭い歯だったような気がする。じゃなきゃこんなにいつまでも痛むはずがない。あれは一体どこから来た鼠だったのだろう。

 その夜俺は熱を出した。
 噛まれた右手がいつまでも熱を持ってズキズキと痛い。
 手当てされた包帯には血がにじみ、乾きかけたそれが錆色に染まっている。
 熱にうかされた耳に、狼の遠吠えが聞こえた。
 窓の外に出ている月は満月に近いようで、いびつな円を描いている。
「くそっ……」
 目を閉じ耳を塞ぐと自分の血が流れる音がした。
 それが何処か遠くから自分を呼んでいるような気がする。
『生きていくことは多数決で決められるのだろうか』
 俺達人間はある意味大多数だ。山を拓き地を耕すということは、ある意味そこに生きていたもの達を排除する行為だ。それが果たして正しい生き方なのか。
 人間以外の少数な何者か……例えば悪魔や天使の類がこの世界で暮らそうとするならば、それは人間と共存できるのだろうか。
 もし自分が人間以外の何者かでたった一人だったとしたら、きっと仲間を作ろうとするだろう。
 じゃないと寂しくて生きていられない。
「やばい、熱が頭に回ってきてる……」
 それは熱のせいなどではなかった。俺はそれが「予兆」だということに気が付かなかったのだ。
 自分がたった一人の少数な何かになる予兆に……。

「この村も寂しくなっちまったな」
「全くだ」
 俺はレジーナの店でディーターと酒を飲んでいた。ヴァルターが村人全員を集めて「人狼が村にいるらしい」という話をしたその日の夜にゲルトが人狼に食われた。それから毎日村では気が触れたとしか思えない会議と処刑が続き、それと同じように人狼に村人が食われ続けている。
 うんざりだった。
 誰かを糾弾して多数決で人の命の行方が決まる。その決断が間違っていて、ただの村人を処刑していたとしてもその命は帰ってこない。それに人狼が何故毎日人を襲うかの理由も分からない。それまで普通に共存してきたはずなのに、まるでヴァルターの招集がスイッチになったのか、焦って生き急いでるように人狼達は村人を食い続けている。
「今日の処刑は誰だ?」
 俺は目の前にあるスコッチの入ったグラスを一気に呷った。その様子を見ながらディーターが目を丸くする。
「おいおい、そんな飲み方して大丈夫なのかよ」
「人狼に襲われるよりは遥かにマシだろ。で、今日は誰だ?」
 ディーターは俺のグラスにスコッチを注ぎながら溜息をついた。
「……フリーデルだ。多分今日でこんな狂った事も終わりだろ」
 フリーデル……ああ、あの教会にいる修道女だ。最近村に来たばかりであまり口を聞いたことはないが、何だか物静かな感じだった。彼女が人狼であるならば、ディーターが言ったように今日で処刑は終わりだろう。処刑した者が人間がどうかを見分けられる霊能者であったヨアヒムが生きている間に人狼は二匹退治できている。まあとうの本人はそのせいで人狼に襲われてしまったのだが。
「正直早く終わって欲しいよ。もう墓穴を掘るのも死体を見るのもたくさんだ」
 俺はグラスを持ちながらその琥珀色の液体に少しだけ水を注いだ。じわりと水とスコッチが混ざり合っていくのを見つめていると何だか今までのことが夢のように思えてくる。
 しばらく無言でそれを見ていると、ディーターが手に持ったグラスをちびちびやりながらこう問いかけてきた。
「そう言えばヤコブ、この前のケガ治ったのか?」
「ああ、鼠に噛まれたあれな……治ったよ。まだ包帯は取れないけど」
「なら良かった。葬式続きな所にお前が病気になったとか言われたら、俺の酒につきあってくれる奴がいなくなっちまう」
 俺はその言葉にクスッと笑いグラスを傾ける。
 ディーターが自分を心配していることが可笑しくて、そして悲しかった。

 フリーデルは日が変わると同時に処刑され、それから村に人狼の犠牲者が出ることはなかった。

「終わってない……いや、まだ始まってない」
 俺は赤く上った満月を見ながらそう呟く。
 一晩続いた熱が下がり会議に行こうとしたその日、俺は納屋の横で指を噛んだ鼠の死体を見つけた。それは前歯だけが狼の牙のように鋭い奇形だった。
 あの一噛みが俺に何をもたらしたのかはまだ分からない。
 だが、俺はあの鼠のように死ぬつもりはなかった。無論人狼達のように生き急いで自分の首を絞めるつもりも、たった一人の何者かになったまま一人寂しく死んでいく気もない。
 それに魂の奥で何かが遠くから呼ぶ声がするのだ。
 ……仲間を増やせ。
 今はまだ少ないが、いつか自分達が大多数になる。
 人間も人狼も踏み越え狡猾に生き延びろ……。
「ククッ……アハハハハハ……」
 妙に清々しい気分だった。
 まだこの村には俺以外にディーター、木こりのトーマス、宿の主人のレジーナに村娘のパメラがいる。全員を仲間に出来れば怖いものはないだろう。もうこの村には占い師も霊能者も、人狼もいないのだから。
 俺は右手に巻かれていた包帯をほどいた。もう傷は痛まない。これから鼠に噛まれることもないだろう。
「さて始めるか。行くぞ、お前達」
 自分の後ろでうごめく小さな仲間達に命令しながら、俺は人間の仲間を増やすため立ち上がった。

fin

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