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兵庫県知事の件から感じ取れたこと②

返り咲き当選後、今も斎藤知事や選挙に関する報道は続いています。今回は、ハラスメントに関する報道から感じ取れたことに注目して綴ります。

指摘や指導する立場の気持ち

どの職場でも、ミスやできていないことについて、職員に指摘や指導する場面はあるはずです。最初は、誰でも優しく対応します。それに対して、言われた側が改善できたり、反省の姿勢があるのなら、一旦は解決します。

ところが、何度も同じようなミスを繰り返したり、何度言っても改善がなかったり、できなかったりした場合、何度も指摘することになります。もし、指摘されていることが理解できていなければ、もっと簡単なレベルに下げて指導することになるでしょう。

指摘する内容が「当たり前すぎる簡単なこと」なら、対応する側も大人の対応を続けるのは難しいのではないでしょうか?最初の数回は優しく対応しても、年単位で続くなら、対応する側としては疲れたりイライラするでしょう。それでも、パワハラはダメですが、「難しいことで何度も指摘する」のとは状況が違うように思います。

指摘される側との温度差

指摘される側は、
「この程度のことでキツく言われた」
「そんな言い方しなくても」
このような気持ちでしょう。

もしかしたら、指摘される職員はたくさん居たとしても、一人の職員が関わった頻度は少ないのかもしれません。一人が指摘されたのは数回かもしれませんが、指摘する側は、改善のないことに対してもう何百回も指摘していた可能性もあります。

また、簡単なミスを就任当初に指摘された職員と、パワハラ問題に発展する直前だけ関わった職員とでも、指摘のされ方に温度差があると思うんです。
「そんなキツい言い方しなくても」に至るまでに、もしかしたら何百回も大人の対応をしていたかもしれない。いずれにせよ、社会人なら職場で指摘されたらすぐに改善するのが一般的だと思うんですが…

そこだけ切り取って報道

現場でのやり取りは、当事者同士でないとわからないこともあります。斎藤知事は立場上、「一部だけ」切り取った報道をされた部分もあるでしょう。その「一部」に至るまでの、職場環境での積み重ねも注目する必要はないのでしょうか。

公務員には、「守秘義務」があります。しかし、守秘義務は本来、国民のプライバシー保護や、法に関する重要な内容の保護について発揮するものであって、都合の悪いことを隠すために発揮するべきではないはずです。

公平で正しい報道とは


調査は現在も続いていますが、閉鎖的な空間で起こった不正があるのなら、それも込みで調査しないと意味がありません。こういった、不都合そうなことも含めて、報道するのが公平なのではないでしょうか。なんとなく、偏りや不自然さ、違和感に気付くから、人はSNSで情報を補うようになります。公平に、司会者の私情抜きで真実を知りたい。視聴率は結果的についてくるものではないでしょうか。

私なりに、閉鎖的な環境の空気を感じ取ってしまい、綴りました。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


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