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靴と足ー再考ー

何度も何度でも

ぼーっとしていると、いつの間にか足のことを考えている。
信号待ちしていても、電車に乗っていても。
ついつい目の前の人の足元に目が行ってしまう。
そこから姿勢を見て、また足元に目線が戻る。
家族連れを見れば、子供に目がいく。
全体から足元に行き、そこから親御さんの足元に移る。

テレビを見ていても、出演者の顔貌ではなく足元から姿勢に目がいく。
おかげで、最近のタレントさんやミュージシャンは全く顔と名前が一致しない。
グループで出てこられた日には、
多摩動物公園のモルモット館や葛西臨海公園のペンギンのスペースに行った時の気分になる。
かわいいし、観れば「わー♪」ってなるけれど、
個人を識別できるかというと話は別問題になるということだ。
人についても大概は体格や姿勢で見てしまうため、夏場と冬場の認識が変わってしまう。
誤解のないように言えば、仕事やプライベートでお世話になっている人はちゃんと顔でも識別しているのでご安心を(何の言い訳なのか)。

要するに。あれです。
時間が空くと、スマホ見るかなんかしてるじゃないですかー。
その時間で足元見たり姿勢見たりしてるってだけです。ハイ

ちょっとした時間、繰り返し繰り返し。
あーでもないこうでもないと頭の中でグルグルしながら浮かんだ疑問を頭の隅っこに置いて、ふとした時に思い出しては何度でも繰り返して考察しています。
これが楽しいんですよ。ぜひはまって見てください(変態の森へようこそ)。

靴に期待すること

私は、一応動きの専門家なわけで(なんせ理学療法士)。
その動きがその人にとって快適な動きかどうかを考えるわけだが。
そこに靴が関わってくるということを理解して意識し出すのはそう難しいことではなかった。

だが。一般の方達はどうだろう。
当たり前な日常すぎて無意識の中に埋没しているのが「靴」なのではないかと感じている。

要は、靴は着衣の一つ(ウェア)であって、道具(ギア)ではないということだ。
靴は「不快でなければいい」というところで、皆の認識が止まっている。
靴を服に合わせることがあっても、靴に服を合わせることはない。
TPOに合わせた靴のバリエーションがあればいいというレベルだろう。
靴を集めるのが好きという人でも、靴のフォルムが好きなのであって、
決して「自分の足に合った靴」ではない。
メディアでも自分に合った靴を履いている人の方が少ないくらいだ。

数年前、某ダンスユニットのドキュメントを見た時に、
メンバーの一人が
「足を靴に合わせられなくて巻き爪になってしまって。その治療をしたので靴が履けないんです。サボっているわけではないので。すみません」
と恐縮しながらリハーサルに参加している光景だった。
発している言葉だけで、わかる人にはツッコミどころ満載すぎてどこからつっこんだらいいのかわからないくらいだと思う。

ファッションのコレクションでさえも、用意された靴はモデルさんではなく衣服に合わせている光景をよく見かける。
時々上がる動画で、ランウェイでヒールがもげているのをカバーしながら歩いているのを見かけるようになった。
それでもポーズを取り続け美しく歩くモデルさんのプロ意識は本当に凄まじい。

靴に対する期待は、露出の多いプロであればあるほど「いかにファッショナブルか」ということに尽きるということだろう。

私が仕事で関わる方々は、市井の方々だ。
「履きやすさ」と「デザイン」が重視されていてもなんら不思議ではない。
「たくさん歩いた(動いた)から、痛くなった」
という訴えもよく聞く。
靴に対して、「動きをサポートする」「裸足よりも安定する」ということを期待していない。
というか、そういう機能があることを経験上知らないことが多い。

私のもとを訪れる方達は、
「日常的に何かどこか不調だけど、病院に行くほどではない」
「病院に行っても、なんともないって言われた」
という方達だ。
その方達に、頭から
「それは靴が問題なんですよ」
と言ったところで、「はぁ」としかならないだろう。
私も整体に行って
「靴が問題ですね」
とか言われたら間違いなく色んな意味で「はぁ」となる。
これは、求めるもの(demand)と与えるもの(supply)にズレがあるからだ。

例えば。
お金をかけて日頃感じている不調を軽減させるために身体を整えに来ています。
にもかかわらず、靴のせいであなたの体が崩れています。
と言われたら。
そりゃあ「はぁ」となるだろう。
自分の得たいものからズレているのだから。
そしてその靴のことを語られても、結局のところどうしたらいいのかわからないのだ。
このズレ。
微妙に求めるものに掠っているため、隠れたクレームとなり未解決のままになり得る。
そうなんだなーと思っても、結局今の靴が楽だからそれでいいとなる。
これがそのままサイレントマジョリティとなり、問題がどんどんと埋もれていく。

靴に期待できるものは「ファッショナブル」であり「履きやすいもの」なのだ。

靴のポテンシャル

靴は、良くも悪くも
自分の動きに寄り添ってくる。
そして靴は、
足の形を変える。

だからこそ、
靴屋さんは身体を、セラピストは靴を意識してほしいと思う。

もちろん売ることも大切だ。それが商売だから。
でも。
明らかにユーザーに対してズレたものを提供するのは自己満足に過ぎない。
靴を作っているメーカーさんだって、専門家が寄ってたかって研究した結果から靴を作っているはずで。
靴のもつポテンシャルってこんなもんじゃないはず。
だからこそ。
足のことを考える・靴のことを考えるきっかけを与えられるように
本当に必要としている人に情報が届くように
心掛けていきたい。
足と靴のポテンシャルを合わせていけるように
情報提供していこうと思う。

変えられるものは何か

先ほど、
「靴は、足の形を変える」
と言った。
それならば一度再考してほしい。
「本当に自分に合った靴」
というものを。
そうすれば、確実に動きが変わってくる。

筋力や可動域は、そうそう簡単に変えられるものではない。
ならば。
まずは靴から変えてみたらどうだろうか。
靴屋さんに話を聞ければいいが、そうもいかないなら
陳列されている靴をどんどん試し履きしてみて。
そのための陳列のはずなので。
そこで合う靴がなければ、無理に買わないこと。
「検討します」
でOK。
自分のサイズに合わない指輪や度の合わないメガネを買わないのと一緒です。
合わない靴は、買わないこと。
大事なので二度言いました。

慢性症状で悩んでいる人は、世の中にたくさんいらっしゃる。
変えられない定数(個性や他人や社会)ばかりを責めずに、
柔軟に変えられる変数(環境や使うもの)を工夫していきましょ。
必ず自分に良き方向に向かっていくはずだから。

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