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なりすまし家族 feat 芹香ナノ

5月30日、下北沢にある北沢タウンホールにて、JOE Companyプロデュース『なりすまし家族』を観てきました。
こちらまだ上映期間中のため、ネタバレのないように配慮しながら感想を書いていきます。

ちょっと蘊蓄(うんちく)交じりで書いてしまうのですが、いま僕は下北沢にアイドルのライブ目的でよく行きますが、昔は本田劇場や周辺の小劇場に行く程度には芝居好きだったのです。
(名古屋に戻ったときも気になる芝居があるときは東京や大阪に遠征してた。お試しをして外れも何回か引いた)

で、今回はネタバレをしないためにも、ナノ様こと芹香ナノの芝居がすごいなあと感じたことを書いていきます。
2回目以降観る際は、こういう見方もあるよ、という視点のプラスになったら幸いです。

ステージ上のアイドル・芹香ナノ


◆役に生きる難しさ

前回の芝居でもそうでした。
ナノさんはセリフが自然なんです。

は? と思われるかもしれないですが、これができなくて芝居を諦める人もいます。「自然っぽい」なテクニックで逃げる人もいます。

普段の会話が棒読みになる人ってほとんどいないですよね?
でも芝居では起こる。
これはもう頭も心も雑念だらけで役を無視して、アッ順番だ! と心が動かないままセリフを言うから、色々とかみ合わなくなる。

で、そしてそれを恐ろしく敏感に気付いてしまい冷める観客、と。

だからね、
違和感がなくてセリフが心地いいって、ニヤニヤしちゃうんですよ!
(僕基準)
それでいて声が良い。クリアで客席に通る声。

他方から、顔も誉めろって声が聞こえてきそうですが、
んなこたぁ当たり前だろって話しでねw(かわいい)

脱線した💦

とにかく、役者さんって

目の前の相手を見る(認識している)
相手の声を聴く(心が反応する)
感情が生まれて乗っかって、
声じゃなくてきちんと色をのせた意味のこもった言葉になる。

そして受け取った相手はまた感情を生み出して反応を返す……

ってなことを最初から最後までやり通すわけですよ。
こんなん頭で考えてやってたら無理ですわ。

だからこそ、違和感がないことの重要性を
観ていただいた方にはちょっと知っておいてほしいなって。


演劇って、
役者さんたちが考え抜いて試行錯誤して行きついた人物たちがそこの世界で自然なやりとりを積み重ねていくことで、僕たち観客は舞台の上の世界に没入して、しまいには見ている人物の心をなぞるように喜怒哀楽を感じるようになってしまう。

そんな奥深さがあるんですよね。


でね、繰り返すけど、ナノ様はずっと登場人物であり、自然体。
”私は! いま! 役を! やってますっ!”
なんて主張なんぞなく、第一声で、

あ、この人が、真行寺美咲なんだな

とスッとキャラクターが入ってきた。

よっぽどジョーさんたちに鍛えられたのか、天性のものなのか、相当な努力なのか。

「伝える」芝居じゃなくて
「伝わる」芝居をしてたと思う。



この辺の感覚は観劇をリピートをするとストーリーが分かるぶん、役者の表情を楽しめるようになりって、あ、そうか!? ってなります。

セリフがない時間も、その人物は生きてます。
僕たちも同じように日常の中で、セリフの順番待ちも棒立ちもしていません。心がある。

だから、どんなふうにそこに居るのかを察することがしやすくなった状態でやり取りやちょっとした仕草を見つけた時に、

うわぁ、そこをそうするのね!

ってたまらない瞬間がやってきます。(僕は)
このときはとても酒が進みます!(もし劇場内で飲めるなら)

これはライブでもありますよね。
それと同じ瞬間は舞台でも存在します。


とまあ、とにかく作品の内容には触れないように書こうとしたあまり鼻につく書き方と内容になってしまった気もしますが、言える範囲で言うと、あの場面転換の方法は考えてるなーと感動したし、気になった役者さんを挙げると、大島宇三郎さんは声もあって安心する芝居をするなーと思ったし、三上俊さん。声がよくて主要キャラなので空間が引きしまる。(席の具合で表情を観られないときもあったので、声の評価になってしまうけど)

登場したら安心感がある、そんな空気をもつ役者さんっていますよね。
とまあ、好き勝手書いてまとまりのない文章になってしまいましたが、

舞台『なりすまし家族』

そのタイトル通り「なりすまし」をするのですがさてさて、

どうして?
なんで?
どうやって?

そして、どうなるの?

を、ぜひ劇場に足をお運びの上、お楽しみください☆


ファン一同のスタンドフラワーは圧巻でした

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