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いいバンドになるために



僕は、演奏面おいては、ドラムスの担当としてリーダーが目指す音楽を体現していくことを目標としている。

それは紛れもなく事実である。
一方で、演奏面だけではなく、バンドという個人の集合体のあり様を考える時、なんらか考えの基礎となるようなものがあった方が良いと感じている。

そして、それを言語化しておきたいとも思っている。

uniquadが、『いいバンド』になるためには、どういうことを心に留めておけばよいのか?

いくつか視点があると思うので、順を追って見ていきたい。

1 冗長性

まずは、ある文章を引用する。

現代は「コスパ」「タイパ」を重視する時代です。メッセージやコンテンツは短く簡潔なものが好まれます。
(中略)
そのような「削ぎ落とし」は実は肝心のコンテンツをたいへん脆弱なものにするのです。コンテンツは、周りの無駄な情報と一緒に伝えないと本来の力を発揮できないものなのです。
これは言説だけではなくて、映画や音楽のような文化的体験全体にも言えることです。
(中略)
彼らは必ずしも音だけを聞きたいわけではない。
多くの人にとっては、音楽を聴くということは、音楽に付随するすべての記憶や体験をセットで意味しているはずです。

たとえばライブに行くとします。そこには、チケットを取る、楽しみしている友人と連絡を取り合う、当日会場まで移動する、踊る、叫ぶ、物販でグッズを買う、終わったあと食事をして感想を言い合う、といったさまざまな体験が付随します。
(中略)
エンタメとはそういう体験の総合演出があってはじめて価値が出るものです。

東浩紀「訂正する力」

「冗長性」とは、「余分なもの、余剰がある」と定義される。
その余分さの中に本質的なことが見え隠れしている。

そして、バンドの音楽だけに焦点を当てていて、「演奏が素晴らしく、また卓越した技術を有していることが全て。曲が良ければそれ以外は求めない」という人は、案外少数派ではないのか?という素朴な疑問が湧いてくる。

引き続き、次の観点を見ていきたい。

2 作家性

ここでも、まず引用から始める。

(前略)
じつは人間は必ずしも質のいいコンテンツに感動するわけではありません。

たとえば子どもの絵。僕は自宅に娘が小学校のころに描いた絵を飾っているのですが、これには芸術的な価値はまったくないでしょう。にもかかわらず僕には価値がある。なぜか。それは娘が描いたからです。

これを難しい言葉で言えば「作家性」ということになります。じつは人間はコンテンツを消費するとき、その内容だけではなく、「それをつくったのはだれか」といった付加情報も同時に消費しています。それが作家性です。

東浩紀「訂正する力」

さらに同じような内容になるかもしれないが別の本から引用を続ける。

優れたワインや日本酒を飲むということは、それを醸した醸造家と対話するということだ。
(中略)
ということはだ。裏を返せば「醸造家の顔が見えない酒」あるいは「芸術家の個性が見えない絵画」は、それがいかに技術的に優れたものであってもつまらないんだよ。
「うーん、マズくはない。以上!」という感想しか出てこない。
(中略)
これは対話が存在しない、一方的なコミュニケーションの退屈さなんだね。

小倉ヒラク「発酵文化人類学 微生物から見た社会のカタチ」

誰がその音楽を作り、演奏しているのかということが非常に大事になってくるということかと思う。

よく「この人が言うから間違いない」であるとか、「こいつが言うから嘘くさい」みたいなジャッジを我々はしがちだが、
後者の場合、その人(「こいつ」のこと)の作家性は限りなく無いに等しい。

是枝裕和さんとケン・ローチさんの対談集「家族と社会が壊れる時」においても、ケン・ローチさんは、「良い監督は、まず良い人でなければなりません。」と言い切る。

ええやつが作った音楽はええねん。

許されるならば、そう言い切りたい。

3 芸の道とは

音楽も含めた芸の道を極めるとは?一体どういうことなのか。

芸の道を極めていく過程でよく耳にする「守破離」という言葉があるが、これがヒントになるのではないか?

まず定義を引用する。

修業に際して、まずは師匠から教わったを徹底的に「守る」ところから修業が始まる。師匠の教えに従って修業・鍛錬を積みその型を身につけた者は、師匠の型はもちろん他流派の型なども含めそれらと自分とを照らし合わせて研究することにより、自分に合ったより良いと思われる型を模索し試すことで既存の型を「破る」ことができるようになる。

さらに鍛錬・修業を重ね、かつて教わった師匠の型と自分自身で見出した型の双方に精通しその上に立脚した個人は、自分自身とそのについてよく理解しているため既存の型に囚われることなく、言わば型から「離れ」て自在となることができる。このようにして新たな流派が生まれるのである。

Wikipedia

アート・シンキングで有名な若宮正男さんは、ネット上の記事で、以下のように述べていた。

「守・破・離」とは「自分」に出会うプロセスだといえるかもしれません。ここで重要なことは、「守」=型や常識は大事だけれど、それはあくまで「自分に気づくための手段」であり目的ではない、ということです。

東洋経済ONLINEの記事より抜粋

ここで、素朴な疑問として、今我々は「守」の段階?、いや「破」の段階?どこにいるのだろう?ということが浮かんでくる。

そして、自分に出会えているのだろうかと。
そもそも、我々uniquadは何の型を破るのか?ジャズファンクの型は一体誰なの?indigo jam unitなの?

ピアノ、ベース、ドラム、パーカッションの4人で完結しているジャズファンクって、一体どんなミュージシャンなのか?
クラブ・ジャズって一体どんな音楽なのか?

すぐには答えが出ないが、これは頭の片隅に置いてずっと考えないといけない。

色々とグダグダ書いたが、じゃあ、具体的にどうすればええバンドになれるねんということに対して、難しくともなんらかの答えを出してみたい。

1  ミュージシャン以前に人間としての魅力を高める

要は「この人がやってる音楽なんだから、きっと面白いはずだ。」と思ってもらわないといけないということだ。魅力的な人にならないといけない。

じゃあ、どうするのか?

いきなり極論かもしれないが、「危うさと友達になる。」になるということじゃないかと思う。
マジメでストイックな人が魅力的な人とは限らない。
不安定さ、危うさが人を惹きつける。

鷲田清一さんは、ハイヒールや纏足を例に出し、このことを説明していた。
なんで、踵の高いハイヒールを履いた女性が魅力的に見えるのか?

それは「不安定だから」だと、鷲田さんは言う。

これはなんとも説得力のある話だなと、常々思っている。


2 音楽が好きだということをことを突き詰める

当たり前かもしれないが、音楽やってるんだから、「音楽が好きだ」ということをもっと前面に出していこうぜということ。
好きじゃないと楽しくないし。

あとは色々な音楽をちゃんと聴きたい・聴かなけばいけない、ということ。
音楽をちゃんと聴いて色々と知るということは、どういうことかというと、語学でいうところの単語を覚えることだと思っている。
逆に言うと、単語が分からないと会話ができない。

そして、ただでさえ、音楽が垂れ流されている時代になっている。もっとちゃんと聴かないといけないなと思う。

最後に、デイヴィッド・トゥープさんは別冊ele-kingのインタビューで次ように答えていたので紹介する。

●インタビュアー
(中略)
音楽がまるでファストフードで、すべてBGMのようになってしまいました。
(中略)
あなた個人は、ユビキタスの時代における音楽リスニングに関してどのように考えていますか?

●デイヴィッド・トゥープ
自分の聴いてるものを愛すべきだろう、私はそう思う。そして、聴いても好きになれなかったら、それを別のやり方で聴いてみるといいと思う。そうすれば、聴いているものを好きになる術を学べるし、それができなかったら、いっそ聴かない方がいいだろう。

別冊ele-king  アンビエント・ジャパン

3  一見合理的に思えない行動を敢えてしてみる

僕には、「ロジカルな流れで、バンドがブレイクスルーするとは思えない。」という考えが根底にある。
羽生善治さんは、敢えて合理的でない選択肢を選ぶことがあると話していた。ブレイクスルーするためには、合理的な選択肢を選び続けてはいけないと。

そして、思い込みあるいはバイアスもある意味非常に大事な要素である。

養老孟司先生は、「ビュリダンのロバ」を例えにして、完全に合理的になると結果、餌にありつけずに死んでしまうと言う。(腹の減ったロバを二つの干し草の山の真ん中に置くと、どっち食べていいのかわからずに、結局飢え死にしてしまう。)
論理機械で有れば結論が出る前に死んでしまう。

だから生物にはバイアスが必要なんだと。

情報に非常に単純に係数をかけること、すなわち重みづけができると考えたとたんに、感情というものが一見不合理に見えてきわめて合理的なものであるということがわかってきます。

養老孟司「まともバカ」

この示唆は、「あんまり難しく色々考えなくてもいいんじゃないか」という風にも、僕には聴こえる。

4  他者との関わりを大事にする

届かなければアートはゴミだ

と言い切ったのは、美術家の松山智一さんであるが、自分たちが作ったものを聴いてもらえなければ、どうにもならない。

バンドメンバーだけでは完結しないことがほとんどだと思う。
エンジニア、デザイナー、ゲストのプレイヤー、ライブハウスの店主、DJ、お客さん、SNSの向こう側にいる人、友人etc…。
色々な接点での他者との関わりを大事にしていかないといけない。
そして巻き込んでいかないと、渦にならない。

そして、『keep in touch』。

釈迦に説法かもしれないが、自分に用事がある時にだけ連絡するというのは、あまりに無粋だ。

5 自分に自信を持つ

永井一正さんは、「デザインの創造性」というテキストの中で、「何かを創造するには自分を信頼し自信を持たなければならない」と語っている。

とはいえ、ひとたびYouTube、Instagramなどなどを見ると、キラキラした凄腕のプレーヤー、コンポーザーetcは山ほどいる。
「あぁ、あの人になんて足元にも及ばない」とか、青臭い気持ちになることは全く否定できないし、おっさんになってもあって良いと思う。

なかなか自信を持てない我々に、自分に自信を持つためのアプローチとして、ナガオカケンメイさんは少し変わったものを提唱しているので、以下に引用する。

みなさんの中にも、「自分はなんなのか」と、考えたことがある人、いると思います。たとえば、デザイナーをしているのに、「あのデザイナー」が気になって仕方がない。「あのデザイン」が気になって仕方がない。
(中略)
僕もそんな感じの時がありました。そして、僕がそこから(あくまで自分の悩みの世界から)脱する方法を考えつきました。それが「肩書をオリジナルにする」です。
僕は約10年前から「デザイン活動家」と名乗っています。
(中略)
これは、僕としては「僕はあのデザイナーではない」「僕はいわゆるデザイナーではない」という表明なのでした。
(中略)
「個性ではなく「個人差」。才能がなくてもいいのです。そして人間には絶対に同じ人はいません。
みんな違っていいし、みんな違う。だからこそそれを強く意識すればするほど、自分が生まれて生きていることを肯定できると思うのです。

ナガオカケンメイ「ナガオカケンメイの眼」


uniquadのメンバーがどれだけ才能があるかは僕には評価できないが、自分を肯定して頑張っていきたい!と思っている。

杉田

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