見出し画像

どうやら僕は「ポジティブ」らしい

今年の桜が開花する少し前のこと。

社内で「書道が上手い人はいませんか?」と周知があった。僕は小さい頃に書道教室に通っていて、自信があったので手を挙げた(実際は担当者にSlackでDMを送った)。

詳細を聞くと、新入社員の入社式に掲げる書き初めを書いてくれる人を探していたとのこと。

最後に書道をしたのは高校の授業なので腕が落ちていることは多少気掛かりだったが、自分のチーム以外の人との関わりを持ちたいなと思っていたため、喜んで引き受けた。

それから当日までシュミレーションを繰り返した。見本となる書体の漢字を調べたり、ボールペンで文字を何度も書いて練習したりしていた。

本番の日。書き慣れていない大きな用紙だったが、なんとか書き終えた。想像以上に自分の腕が落ちていたが、出せる力を最大まで使って綺麗に書けた。依頼された人にも感謝してもらえて、ルンルンで帰宅した。


家に帰ってそのことを同居人に報告して、書き上げた写真を見せた。すると、褒められると思いきや浮かない顔をしている。

「これでよく立候補できたね」とすごくマイルドな表現で言われ、不意を突かれた。彼女も書道経験者だったことをそのときに思い出した。

ただ僕自身は今ある力を最大限に発揮させることができたので、後悔はしていなかった。探せば他に上手い人はいるが、その人は手を挙げなかった。今の時期は繁忙期なのかもしれない。

筆の手入れから後始末まで、本来の業務外の作業ではあったけれど、責任を持ってやり遂げた。練習できる時間は限られていたが、自分にとって95%の実力が出せたと思っている。

練習すればもっと上手く書けたのにという意見には同意するが、時間も道具も揃っていなかった。言い訳ではなくそれは仮定の話であり、世の中には仕方のないこともある。


確かに過去の自分だと落ち込んでいたのかもしれない。それが今では他の人からどう思われようと関係ないと吹っ切れている。

同居人は僕のことを「自信家」だという。そう言われることがとても意外だった。というのも生まれてこの方、僕は自分のことを自信家だと思ったことが一切なかったから。

むしろ、ネガティブ思考だと認識していた。少なくとも根明な性格ではないことは、自分でよく分かっているつもりだ。自信家に見えるのは自分の実力が把握できるようになってきたからではないかと推察する。

経験したことや得意なことに関しては堂々と振舞うことができる。それは他人から見たら自信に満ち溢れているように見えるのかも知れない。

実際のところ今でも後ろ向きな自分は存在している。ただ多くの経験と成功体験を繰り返すと、自然と自信に満ちてくる。人見知りもネガティブ思考も、案外場数をこなすと自然になくなっていたりする。


----------

Twitterはこちら。


また読みにきてもらえたらうれしいです。