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新しく何かを始めること

続けていたことを1つ辞めると、新しく何かを1つ始めたくなる。


本業の仕事で複数の案件が立て込んでおり、師走を前にチームメンバーはみな忙しい。毎年社内の限られた人だけが選抜されて海外イベントへ参加する話が舞い込んでいたのだが、多忙のため今年は見送りにせざるを得なかったと上司から聞いた。とても残念だったが、僕にできることは来年まで刀を磨いておくことだけだ。

ちょうど英語へのモチベーションが冷めていた頃だった。結局、半年間通い続けていた英会話スクールは先々月に辞めてしまった。外国語が堪能になることよりも今は母国語で書くということに向き合ってみたいと思っていた。ビジネスに繋がるかどうかは一旦置いといて、自分が好きなことをしてみようと考えていた。

そんな折、Twitterで流れてきた告知ツイートを見かけて、宣伝会議の無料講座が開催されることを知った。そのまま勢いで参加してきた。

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それは宣伝会議が運営する「編集・ライター養成講座」の受講を検討している人向けの無料体験講座だった。とはいうものの堅苦しくなく、フリーライターのニシブマリエさんと医療コラムニストのもろずみはるかさんが対談形式でライター業に関する話をする場であった。

書くことを本格的に学んでみたいと思い始めていた僕にはぴったりだった。現状はフリーライターや編集者になりたい訳ではないが、人生を通して書くことは続けていきたいと考えている。ライターや編集者がどんな仕事をしているのか興味はあった。それに、書く力を身に付けることは今後の自分を明るい方向に引っ張ってくれるという直感に近いものを感じていた。

講座の中では、専門分野の見つけ方、仕事の幅の広げ方、リアルなお金の話、活躍できる人の特徴などをテーマに現役で活躍されているお二方の考えを聞けてとても有意義な時間だった。


後半の質疑応答では前々から聞きたかった、いまの自分の悩みを投げかけてみた。それは、「過去に書いた文章が稚拙なので消したくなってしまうのだが、どうしたらよいか」という趣旨のもの。

noteを約1年前から週一以上の頻度で更新を続けているが、初期の頃に書いたものを読み返すととてもじゃないが恥ずかしくなる。小学生の読書感想文の域を超えていないと痛感する。

その問いに対して、ニシブさんからは「読み返して納得がいかない、上手く書けてないと思うのなら、それは今の自分が成長しているということなのでは? もしそうでなくても、そう思うようにするといいのでは?」という内容の温かいお言葉をいただけた。

また、加えて「noteは自分の媒体だからいつでも記事を直せるが、他のメディアに寄稿した記事の場合は公開されしまうとよっぽどのことがない限りは修正ができない。」といった現実的な話を聞くこともできた。

もろずみさんからは「そもそもいい記事とそうでない記事はどう判断している?」と指摘され、その言葉が胸に刺さった。確かに自分にとってはいまいちでも読み手がいいと感じている記事があるかもしれない。「それを書き換えたり消したりしてしまうのは、読者からすると悲しい気持ちになるのでは?」と言われ、ぐうの音も出なかった。

自身のポートフォリオ的にも投稿数が少なく更新頻度が低いよりは、記事数が多いに越したことはないと思っていた。お二人の回答がすんなり腑に落ちたので、納得して過去に書いた記事も消さずにそのままにしておくことに決めた。

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不思議な成り行きだなと自分でも思う。動画コンテンツが数多溢れるなかで、ひとり気ままにこうして文章を書いている。承認欲求は強い方ではないと自覚しているが、ではいったい何の欲を満たすために書いているのだろうか。

大人になって人並みに娯楽を経験した。映画館でもなく、競技場でもなく、僕にとっては書店がもっとも興奮する場所だった。無数の本に囲まれていると自然と気持ちが昂ぶると同時に神聖な気持ちにもなる。

読みたい本が次から次に視界に入り込み、自分の残りの寿命を指で数える。健康な精神を保ったまま長生きしたいと改めて心に誓う。ジムに行くより、ここに来た方が精神的な意味でスリムになるような気さえする。

「70歳で芽が出ればいいと思っている」と、もろずみさんが最後に話していたのが印象的だった。30歳までは充電期間だと自分の中で位置付けていたのが甘かったなと気付くきっかけになった。目立ちたいなんて自己を忘れて、文字で遊び続けていたいと純粋に思った。


後日、12月から開講の「宣伝会議 編集・ライター養成講座」に申し込んだ。半年後の自分がどうなっているか今からとても楽しみだ。


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