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ユートピア不在の未来

目の前の人と話しているときにはそんなことないつもりなのだけれど、大人数とか不特定多数の場だとドヤってしまう自分がいて嫌になる。

これまでnoteで書いてきた話も割とそういう面があったように思う。なので、自分の過去の投稿を遡って読むことはほとんどない。

誰が見ているかはいい意味であまり意識せずに、このnoteの空間を素直な感情を整理する場所にしていければと改めて思っている。

本名でゴリゴリにSNS活動している訳ではないのだし、SEO対策やブランディングとか一切を放り投げて、気楽に続けていきます。


本を読んでスプラトゥーンをしてラジオを聴いて休日が終わる最近が続いている。そんな日々に「これでいいのか」と問いかけることが増えた。

諸悪の根源は先頃のGW10連休にある。時間が膨大にあると否が応でも自分と向き合う羽目になる。これがいいことを起こす訳がない。

平日はIT企業で仕事をして、自分の力を最大限に生かせている。ただ休日にハリがなくリラックスするだけの時間が流れている。

もっと何者かになりたい、そういう声が内側から聞こえている気がしないでもない。ただ、それはSNSで活躍(してるようにみえる)人に影響されてるだけなのでは?とも思う。少なくとも今の自分にとって夢中でやりたいことは見当たらない。

というよりも、今の境遇を捨ててまでやりたいことがないと言った方が正確かもしれない。「情熱を燃やせる夢はあるか」「好きなことを仕事にしよう」など、世の中の圧力に嫌気が差す。


人には向き不向きがある。熱い想いを持ち続けて突き進んでいける人は数少ないし、それが大成するのはもっと一握りになる。

僕が新たに身につけたスキルを伸ばしたとて一流に近づけないことは自分自身がよく分かっている。戦略を立てねばという自覚はあるが、そこで足踏みをしている。

仕事で使う機会があるため英語を学んだりはしているがこれも俯瞰的に見れば、社会からの要請に応えてのことだ。自分の奥底から湧き出るエネルギーがきっかけでは決してない。

ただこれでいいとも思っている自分が何処かにいるのも事実。平日と休日の過ごし方、バランスが取れていると言えなくもないではないか、と。


いまの僕がするべきことは、

・未来に対して、少しの危機感を持ち続けること。

・現状の生き方を否定して苦しむのではなく、肯定しつつ新たなスキルを磨いていくこと。

この2つではないかと、ふっと結論らしきものが降りてきた。

本来、僕は自分の中にやりたいことがある人ではない。社会が求めることに自分の得意なことを擦り合わせてここまで来ている。

だから、本名でSNSを必要以上に頑張る必要はないし、そもそもが不向きなのだから仕方がない。

今は一切のSNSを諦めて本業に集中すればいいのかもしれない。自分を高める投稿ができたら理想だけれど、それは僕にはハードルが高い。

「向上心の強い人は常に現状に満足しないから幸福度が低い」という説があるらしい。いま読んでる本にも成功者に共通するのは、ポジティブ思考だと書いてあった。

先のことはなるようにしかならないのだから、ある程度の見切りは付けて生きていくしかないのよな。どんな時も前向きさが松明となって、まだ見えない未来を照らしていくことを願って。


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