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noteは素直な気持ちで「書いたよ、読んでね」と言える場所
小学校の作文の授業。好きでも嫌いでもなかったけれど、書くのは苦手だった。
そもそも自分が何を考えてるか分かっていないのに、それを言葉にするなんて無謀すぎると今なら思う。たいてい自分の想いを上手く言葉にすることができず、既存の言葉に自分の感情を当てはめることになる。書いた後の作文を読んでもなんだかしっくり来ない。そのまま担任の先生に提出していた思い出がある。
今でもそれは変わっていない。小学生のときより色んな経験をしてきた自負はあるけれど、頭の中を上手く言葉にできるかはまた別の話。今でもTwitterやnoteで書いた言葉を後で読み返すと、腑に落ちない気持ちになることが多い。
いつになったらちゃんと言葉にできるんだろうか。自分で納得してないままの言葉をネットに公開していいのかな。そんな気持ちになって、塞ぎ込んでしまいそうな夜もある。
けれど、僕は決めた。不完全なまま、未完成のままで、前に進んでみることにする。もともと誰も読んでくれないところから始まっている。
それに、ここでは架空の名前で文章を書いているので身近な人にバレるリスクもない。自由気ままに書ける環境が用意されている。
誰に向けて何のために書いているのかはこの際、深く考えないことにする。思いついたときに思いついたことが書いたらいいし、考えが変わっていくたびに書く理由も更新していけばいいと思っている。そんなのも全部まとめて書きながら見つけていければいいなと思う。
誰のためでもない文章。ひとりごとをそっと見える場所に置いているだけ。たまたまここにたどり着いた人や僕の文章を読みたいという、風変わりな人の目に触れればそれでいい。
小学校のとき、自分の作文が他の人に読まれることが怖くて仕方なかった。だけど今、素直な気持ちで「これ書いてみたよ、読んでみてね。」と言えるnoteという場所があって、とてもありがたいなと思う。
大人になった今でも書くのは苦手だけど、想いを言葉にする時間は好きになっていた。
「届ける文章」について書いた記事。
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