些細な人助けから得られること
他人に手を差し伸べられるチャンスは意外と日常に隠れている。
歩行者として横断歩道を渡る場面、車に先を譲るときのドライバーとのアイコンタクト。
会社や百貨店などでエレベーターに乗って操作ボタンの前に立ったとき。
疎らに空いている電車内で1人席しか空席がないとき、自分が移動することで座れなくて困ってるカップルや夫婦の2人連れに席を譲るなど。
僕の場合、これらの見知らぬ他人とのちょっとした間接的な触れ合いで、自己肯定感が爆上がりすることにあるとき気が付いた。
外国人に道案内をするというようなあからさまで直接的な親切は羞恥心が優ってしまい幸福感はあまり得られないことも分かった。
身近な人よりも知らない他人から僅かな感謝をされることの方が社会と繋がれている実感がある。
滑らかな距離感があるのがいい。彼ら彼女らとの出逢いは僕の日常生活を恒常的に豊かにすることはない。ただ精神世界で満足したに過ぎない。
だが自分がいい思いをするだけでなく、相手の為にもなっているはずなので一石二鳥だと思ってるし、Win-Winの関係だと思うようにしている。
打算的と言われるかもしれない。ただ、スマホに夢中で下ばかり向いている人よりは善意のある行動をしていると思っている。
そんな訳で機会を見つけては些細な人助けをしてる。それもなるべく、カジュアルかつスマートを意識して。
先日は公園のベンチで知人を待っているときに、目の前をボールがころころ転がってきたので、子どもたちのいる方にそっと投げ返してあげた。
こんなことでも自己肯定感は向上した。自分の単純さにある意味で助けられているところもある。
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