何もしたくない(意味深)というオリジンはブレることなく、立ち返れば余生は暇だから以外の原動力なし
今までゴタゴタ書いてはまた一つ歩みを進め、あくせく生きて溺れかけてまた描くというこの場所だったけど、
やっぱりいろんな気まぐれな自分がいながらもその気まぐれの根源には「もう何もしたくない」という自分がいる。
いる、というか、ある、という感じで。
ずっとそうだったのに、我慢して閉じ込めて求められるものになり続けた。それは運命だったと思うしかない。そうすることでしか安全に生きられなかったから。
今まで書いていたことのほとんどが矛盾しているだろうし、それが私というか、私も私がよくわからないというか。アイデンティティ?自己容認?とにかくよくわからないけど、いまのところ「いろいろある」のが私みたいで。
その自分に振り回されるというか、苦しめられたりすることもある。その度にここに書いて、何を思ったか、どういう価値観だったかメタの自分が推し量る。
結局落ち込んでもめちゃくちゃハイになっても行き着くところは、薄いけど確かにある希死観念とそれを正確に滲み出した言語化が「何もしたくない」であるのは、どんな自分であっても結局ここに戻ってくる。
そこにはポジティブとかネガティブとかもなく、プラスでもマイナスでなく、良い悪いでもなく、0。ニュートラル。希望も絶望でもない。それ以外にはなり得ない何か。
だから日々の気の移り変わりはあくまでも装飾でしかなくて、綺麗なビー玉みたいなそれは、小さいけれどしっかりと心の真ん中の底に綺麗に輝いて居座っている感じがしてきた。
「何もしないがしたい」なんて、求められてきた姿とは真逆で、それを今から受け入れてやるのも、本質とはいえあまりにもオーガニックすぎて抵抗がある。薄味。
でも、「何もしないがしたい」「何もしたくない」という気持ちはそれ以外に絶対なり得ない絶望をもたらすと共に、「暇つぶし」でしかない人生を確固たるものにしてくれる。
言い逃れはできない。
私にとって、人生は「暇つぶし」なのだ。
オーバーがいつきてもまあ、というマインドがある以上、とはいえ〇〇くらいは見て終わりにしたいかなみたいな気持ちにもなる。
こんな道標アリかよ。
エリアマップの出現条件珍しすぎるだろ。レアアイテムだったんかい。
暇つぶしであれば、近い未来に見たいイベントがあって、それまではすることないからまあ、惰性で何かするか。みたいな感じになる。
すると、あらあらびっくり。
ずっと求めていた「暇だしゆっくり生きるか」というマインドに自然となる。無理に掲げなくとも。というかそれしかないからそうなるしかない。
暇だから急ごう焦ろうって人多分いないよね。
ここに立ち返っている以上、もう他にはなれないので。毛頭これ以外できないので、もう多分、心がめちゃくちゃになって書き殴ることは無くなるのではないかなと思う。
人生死ぬまでの暇つぶし。
どうせ暇ならゆっくり生きていこう。
今の楽しいは事実なんだからそこだけとりあえず味わってへらへらしておこう。
多分、何かを成し遂げたり莫大な何かになることよりも「なんかずっと暇だったな」って思えなかった方が死ぬ時後悔しそう。
そんなことある??笑
まあいいか笑
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