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「死ぬ時にも単語を覚えていたい」。りんが語学に夢中な理由とは

こんにちは!KAMIKITA HOUSE住人のコージー(@koji__O)です。

入居者の魅力に迫る住人インタビュー。第24回は、言語学習を愛するOL・りんさんをゲストにお迎えしました。アメリカ留学と恩師との思い出について、たっぷりとお話を伺いました。ぜひ最後まで読んでいただけると嬉しいです!

りん
京都府城陽市出身。大学時代、アメリカに計2年間留学。その後も「言語の鬼」と化し、英語、スペイン語、中国語を学ぶ。現在は英語コーチングサービスを提供する会社に勤務。趣味は単語の暗記、散歩、ヨガ。

運命の出会いで留学へ

ーー大学時代にアメリカに留学されたとのことですが、なぜ留学に行こうと思ったのでしょうか?

もともとは留学を強く志望していたわけではなかったのですが、自然な流れで行くことになりました。私が通っていた滋賀県立大学の人間文化学部国際コミュニケーション学科は、学生の9割ほどが留学に行く学科だったんです。それで私も留学を目指すことになりました。

そもそも滋賀県立大学に行くことになったのも偶然でした。高校時代、私はあまり勉強ができなかったのですが「大学に行きたい」と言ったところ、母親から「家から通える国公立」という条件を出されました。京都の自宅から通える範囲で狙えそうな国公立が滋賀県立大学だけだったんです(笑)。条件面だけで滋賀県立大学を志望し、結果的に留学したという感じですね。

ーーなるほど。留学へのモチベーションはいつから上がったのでしょうか?

大学に入ってから、自分にとって大きな出会いがありました。大学1年のある日、自習室で英語を勉強していたら「quarter(4分の1)」という単語が出てきたのですが、私は意味が分からなくて。その時ちょうどアメリカ人の先生が歩いてきたので、走っていって「quarterの意味教えて」って話しかけたんです。それが私の恩師となるマーティンとの初めての会話でした。「quater」の意味を教えてもらった後、"Thank you. I'm Moe. Remember me!" と言ったのを覚えています(※「もえ」はりんさんの名前)。私はマーティンの授業を取っていたのですが、あまり授業に出ていなかったので、その時が実質初めての出会いという感じでした(笑)

その後、マーティンの授業の定期テストがありました。終わった人から退出していいスタイルなので、他の学生は次々と帰っていくんです。私は普段勉強していないから全然できないのですが、テストの時だけはギリギリまで粘るんですよ(笑)。90分間最後までいたのは私だけだったので、テスト終了後に雑談で「英語力が足りないから留学行けるか分からないんだよねー」みたいな話をしたところ、マーティンが「じゃあ一緒に勉強しようよ」と言ってくれて。そこからマーティンによる英語特訓が始まりました。

ーー英語特訓はどんな内容だったんですか?

私のために、1限の前の「0.5限」を作ってくれて、留学のために必要なTOEFL対策をやってくれたんです。週1回はきっちり時間をとっていましたが、それ以外もほぼ毎日、朝の通学の時間にやっていました。私は電車とバスで通学に2時間半くらいかかっていたのですが、途中でマーティンが乗ってきて琵琶湖線やバスの中で話していましたね。

最初は正直「みんなが留学するし、私もしたいな」という感じだったのですが、私だけのために、マーティンが必死になってくれていたので、これは頑張らなきゃいけないなと。絶対留学に行って、留学を成功させようと思うようになりました。

ーー努力が実って、無事留学に行けることになったんですね。

いえ、そんなにすんなりはいかなくて。TOEFL500点以上必要なところ、実は4回受けて最高で460点しか取れなかったんです。もう無理だと思ったのですが、マーティンは「まだ手はある」と諦めてなくて。マーティン発案の秘策が、留学生の採用を決める面接に英語で臨むことでした。日本人の大学教授と話すので、普通は日本語で答えるものなんですけど。

「モエは積極性があるからスピーキングは強い。ライティングやリーディングが足りてないからTOEFL400点台なだけで、話す姿勢を見せたら点数以上の実力があるから自信を持って英語で答えてこい」と言われて。それから0.5限の内容が英語の面接対策に変わりました。そして、面接本番。「なぜこの大学を選んだんですか?」って聞かれたところを「Can I say in English?」と切り返し、英語で話しきりました。めっちゃ恥ずかしかったんですけど(笑)。それでなんとか通って留学に行けることになりました。

人生の3箇条。学ぶこと、愛すること、愛されること

ーー留学はどこに行ったのですか?

アメリカ・ミシガン州にあるミッドミシガン大学です。滋賀県とミシガンはどちらも湖が有名で、姉妹都市なんですよ。ちなみにマーティンはミシガン州出身で、姉妹都市の交換留学プログラムで滋賀に来て、滋賀の人と出会って結婚して、日本に住んでいたんです。

留学に行ったのは2年の夏から。今は日本にいても語学力を伸ばすことは可能だと考えていますが、当時はアメリカでしか英語力を伸ばせないと思っていて、1年間でペラペラにならないと、と必死でした。1分も無駄にできないと思って、寝ている時間以外、ずっと勉強していましたね。

ーーどのように勉強していたんですか?

シャワーを浴びながら単語覚えたり、ドライヤーしながらイヤホンで英語聞いたり、バスに乗ってる時は運転手が喋ってる言葉をシャドーイングしたり。車がないと遊びに行けない環境だったので、土日も朝6時に起きて23時まで部屋にこもって勉強していました。もう一度やれと言われてもできない生活ですね。死ぬかと思いましたね(笑)

インプットした内容を実際に使うために、試着したくもない服をわざわざ持って「これ試着できますか?」と聞いたりとか、本当に牛ひき肉は「ground beef」なのかを検証するために、"I'm looking for ground beef."と言って、ひき肉の売り場まで案内されるかを試したりしていました。

ーー留学中にマーティンと連絡を取ったりしたんですか?

実は私が留学している時、マーティンも一緒にミッドミシガン大学にいたんです(笑)。滋賀県立大学では、マーティンは英語で社会心理学を教えていたのですが、大学との契約が終わることになり、家庭の事情などもあって、アメリカに帰ることになったんです。それでミッドミシガン大学の留学プログラムのディレクターの仕事をすることになって。なので、マーティンと一緒に留学するみたいな感じでした(笑)

1年目はひたすら勉強だけを頑張り続けた結果、英語力は伸び、400点台だったTOEICは990点(満点)に上がりました。

ーーすごい!2年間留学してたとのことですが、2年目もひたすら英語を勉強していたのですか?

いえ、2年目は語学の学習というよりも、マーティンとの時間を過ごすために留学しました。実は1年目の留学中に、マーティンに前立腺がんが見つかってしまって。ステージ4だったんです。もっとこの人の近くで学びたいと思い、2度目の留学を決断しました。

マーティンは、近くにいるだけで人生の学びがある人なんです。アメリカに行ってから0.5限の内容は英語の授業から、ライフレッスンに変わりました。マーティンは日本の大学院で心理学を勉強していたので、人間関係などについてたくさんのことを教わりました。特に印象的なのは、人生で大事なのは学ぶこと、愛すること、愛されることの3つだということ。「学ぶことを絶対に止めないでほしい。自分の時間は愛してる人のために使ってね。そして、自分が愛されることを忘れないで」と言ってくれました。

ーー留学の1年目と2年目の間は、一度帰国したんですか?

はい。一度帰国して、日本の大学に報告をしたり、インターンをしたりする期間もありました。実はその一時帰国のタイミングで、マーティンも仕事で日本に来ることがあり、我が家にもわざわざ来てくれたんです。1年目の留学生活について報告してくれて「2年目も心配しないで」と両親に直接言ってくれました。

私はもともと両親との関係があまり良くありませんでした。1年目の留学中、ホストファミリーの家で家族が仲良く暮らしているのを見て、ふと気づいたんです。私って、両親のこと何も知らないなと。私は両親について、年齢も誕生日も出身地も仕事も全く知らなかったんです。留学中も3、4回メールした程度で、ほとんど連絡もとっていなくて。

マーティンが「モエはアメリカで頑張っていたけど、寂しかったと思いますよ」と話してくれて。それをきっかけに私からも会話を積極的にできるようになったし、親ももう少し前向きに応援してあげなきゃと思ってくれて、2年目は快く送り出してくれました。マーティンのおかげで、私は家族を大切にできるようになったので、本当に感謝しています。

卒業式で記念写真を撮るりん(左)とマーティン(右)

2人をつなぐ『リメンバー・ミー』

ーー2年目の留学も無事に終わったのでしょうか?

大学の授業は5月に無事終わりました。ただ、元気な姿のマーティンと会ったのも5月が最後になってしまったんです。マーティンは8月に亡くなりました。

アメリカでは入院せずに最後は家で過ごそうという文化があって、私も家にお見舞いに行きました。最後にマーティンの家に行った時はもう私のことを分かっていなかったですね。モルヒネを投与されていたこともあり、記憶もあいまいでした。その2日後に、マーティンは亡くなりました。亡くなった8月22日は、私が初めてアメリカに行った日のちょうど2年後でした。

ーーマーティンは、りんさんにとって本当に大きな存在でしたよね。

マーティンとの思い出は数え切れません。最初は英語の勉強を教えてくれる先生でしたが、いつしか人生相談もするようになっていて。マーティンは天体観測が好きなのですが、ミシガンは星が綺麗で、よく一緒に星を見ながら話していました。親への思いや仕事、人生について、何でも相談しました。

日本で私の家に来てくれた時には4人家族の写真を撮ってくれて、私にプレゼントしてくれたんです。両親もマーティンにはとても感謝していて、千羽鶴をアメリカに贈ったり、実家近くの瘤とりの神がいる猿丸神社に毎月通ってくれたりしました。

マーティンって真面目な人なんですけど、お茶目で子どもっぽいところもあるんです。もう亡くなるのが近いことをおそらく分かっていたと思うんですけど、ある日「仕事サボって映画見に行こうよ」と言われて、一緒に映画を見に行ったんですね。その時に見たのがディズニー映画の『リメンバー・ミー』でした。

大学1年の時、初めてマーティンと話して私が言った言葉が "I'm Moe. Remember me!"でした。『リメンバー・ミー』は亡くなった人を忘れないで、というような物語なので、マーティンからのメッセージだなと感じました。この映画のモデルとなっているのがメキシコの死者の日。映画を見終わった後、私は「死者の日の祭りに必ず行くね」と約束しました。

ーーもし、今マーティンに会えたら伝えたいメッセージはありますか?

うーん、普段からマーティンにはメッセージを書いているので・・・。命日にはFacebookでメッセージを送りますし、マーティンと出会ってからずっと続けている英語の日記にも、週に1回はマーティンに向けた手紙を書いています。

2度目の留学から帰国した後、死者の日の祭りに参加するためにスペイン語の勉強を始めたことを報告したいと思います。メキシコの母国語はスペイン語なので。今ではかなり話せるようになったので「もう祭りに参加できる準備はできたよ」と言いたいですね。コロナの状況次第なところはありますが、メキシコで死者の日に参加して、南米の国々を旅した後、ワーホリ(ワーキングホリデー)でスペインに1年住みたいなと思っています。

ーースペイン語を学び始めたきっかけは、メキシコの死者の日の祭りだったんですね。今では中国語も勉強されていますが、りんさんにとって、言語の魅力とは?

英語、スペイン語と学んで、言語の楽しさを知ってしまったんです。言語を知ることは、その国の文化や考え方を知ることにつながります。文化というのは、氷山のようなもので、8割くらいは隠れているんです。日本人はお箸を使うとか、お辞儀するといった目に見える文化はごく一部で、その下に目に見えない文化がたくさんあります。それを理解するためには対話が欠かせないため、言語の習得が必要です。

実際、私は両親の考えが唯一の正解だと思っていたのですが、マーティンと出会ったことで、色んな考え方を知って、たくさんの正解があることを知りました。それなら、できるだけたくさんの考え方を知ったうえで自分の選択をしたいなと思ったんです。言語を学ぶことで、自分の可能性の幅を広げたいと思っています。中国語の次はフランス語を学ぶつもりです。フランス語が話せると、多くのアフリカの人たちとつながれるので。

あとは単純に楽しいんですよ。趣味です。テンション上がったときは心臓バクバクしながら単語帳見てることもあります。「何この単語、綺麗な響き〜!」みたいな(笑)。死ぬ時にも単語を覚えていたいですね。

ーー最後に、夢を教えてください。

日本と外国をつなげる人になりたいです。日本人には「言語を話せると、こんなに世界が広がるんだ」ということを伝えたいですし、海外の人には「日本の文化をもっと知りたい。日本語を習得したい」と思ってもらえたら嬉しいですね。個人的な目標は最低でも5か国語を習得することと、再び海外に住むことです。自分がそれを実現することで、多くの人が他の国の言語の勉強を始めるきっかけになれたらいいなと思います。

マーティン(左)とりん(右)

【取材後記】
今、泣きながら取材後記を書いている。インタビュー原稿を書きながら、改めてりんとマーティンのエピソードに触れ、涙腺が崩壊した。僕は話を聞いただけだ。マーティンと話したこともなければ、会ったこともない。それでも、りんの友人として、今を生きるひとりの人間として「マーティン、ありがとう」と言わずにはいられない。

りんは「文化は氷山で、目に見えるのはごく一部にすぎない」と言ったが、人間も氷山のようなものだと思う。彼女が英語がペラペラなこと、スペイン語や中国語も勉強していることはインタビュー前から知っていた。だが、その裏にこんな歴史があることは知らなかった。りんの言語への愛は凄まじい。Googleカレンダーを利用して、毎日の勉強時間を徹底管理。急用などで時間が取れなかった場合は土日に必ず負債を返し、言語学習の時間を確保しているという。「死」を意識することで、限りある「生」はより一層輝く。大切なことを教わったインタビューだった。

取材:コージー、きどみ
執筆、編集:コージー

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