夜が怖い

「夜が怖い」
 多分昔の人は、明かりもなくいつ猛獣に襲われるかもわからない中眠らなければならなかったので、それは中々に恐怖だったろう。
 しかし電気が発明されてからはというと、どうやら人類は夜を克服したことになっているらしい。「暗い→見えない→怖い」と、暗闇は恐怖の具現化といっても差し支えないと思うので、これはわからなくもない。

 私はつい半年ほど前まで暗闇がほとんど存在しない地域に住んでいた。街灯が等間隔に配置され、10分間人が通らない時間はなく、バイクも電車もトラックも走る。何とも騒がしい場所だった。
 学生時代は「こんなんじゃあ夜も怖くはないなぁ」と何の気無しに思っていたわけだが、そういうことではないのかもしれないと最近気づいた。

 二十四時間灯りが付くようになり、猛獣と人間の居住区も無事に別れた現代。恐怖の対象が無くなったかというと、残念ながらそんなことはないわけで。闇は形を変えてそのまま存在しているんだろうなぁと今なら思う。
 平たく言えば、過去暗闇という形で現象として確認できていた闇が、今度は人間の心なんて大変面倒な所に棲みつく様になってしまったということだ。見えなくなった分、以前より厄介になった気がしてならない。

 まぁ恐怖の対象が変わったとは言ったものの、それは正確ではなくて矢面に立つものが変わったと言うだけの話ではある気がする。以前も犯罪(と言う名前がついていたかは別だが)は存在していただろうし、物理的な闇の怖さがなくなった分マシにはなっているはず。恐らく。多分。
 とまぁここまではあくまで周りを見ていて思ったことなのだけれど、ここからは自分の体験としての夜の怖さという話がしたい。

 最近私は夜が怖い。怖いので苦手だ。ただ以前はというと、学校から逃げられる時間という認識だったので好きだった。元より外で遊ばないタイプの私にとっては、それこそ何でもできる時間だった。それが社会人になった今、180度意見が変わってしまっている。
 なぜかというと夜になっても逃げられないことが増え、好きなことに逃避するだけでは終わらず、夜の本質が見える様になってしまったからだと思う。

 これはきっと他人と触れ合う機会が増えたと言うことなんだと思う。仕事のことは職場を離れても若干は頭をよぎるし、休みの日でも電話は気にしなければならない。そして何よりも大変なのが、寝なければ翌日に響くという部分だ。多分これが夜に向かい合わなければならなくなった最大の要因である気がしてならない。
 元々自由だった夜の時間はあくまで仕事のために費やす時間に変わり、何でもできる時間から何かをしなければならない時間に変わった。と、書いていて今気づいたがこれは夜が怖いと言う話ではなく仕事が怖いと言う話かもしれない。

 話を戻すと人間関係のことを考えるのは決まって夜なのである。他の人はどうかは知らないが、私の場合は特に入浴中と就寝前が特に地獄である。
 今日のこと、これまでのこと、これからのこと。考えることに事欠かないのでずっと頭が働いている。ずっと頭が働いているので眠れない。眠れないと言うことは考え続けさせられてしまうし、明日にも響く。
 私の中で夜はそういったことと向き合わされる時間だと勝手にイメージがついてしまった。イメージがついてしまったので、苦手になってしまった。

 しかも一番困ることは、夜に向き合ったところでいい結論に辿りつかないということだ。
 朝起きてから考え直せば何であんなに沈んでいたんだろうと思えることでも、一旦夜に考え始めてしまうとそれはもう絶望に囲まれている様な気分になるのだ。
 ただこういった真面目なことは昼間より夜に思いつきやすいので、どうしても悪い結論が出てしまう話の方が多い。悪い結論が重なっていくと徐々に病んでいってしまう。

 そういった闇が、結局のところ電気なんかでは払えないわけで、それはつまり夜を克服したことにはなっていないのではないかというのが私の考えである。
 と、ようやくタイトルに辿り着いたのでこの辺りで。

 私は「夜が怖い」

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