オールドルーキー

自分が竹原ピストルというアーティストを知ったのはだいぶ遅かった。

知り合いの美容師から薦められたアルバムを借りたのがきっかけだ。

「ROUTE OF ROOTS」

今から8年前、32歳の自分はその時一回り上の美容師が竹原ピストルがとても良い、という言葉の意味が曲を聴いてもピンときていなかった。

おっさん(その時の竹原ピストルは36歳くらい)が自分に酔った歌だと感じていた。

20年前、二十歳の頃は先の事も考えず自分のやりたい事をやって、アニメ制作に携わって20代後半に結婚をして、ひたすら仕事に打ち込んで走り続けてた。

10年前、三十歳の頃に仕事を辞めて実家の内装屋の手伝いを始めた。
覚える事も多かったが、とにかく目の前の仕事をこなし、ひたすら仕事に打ち込んで走り続けていた。

今日、四十歳を迎えた。

歳を重ねた実感も無ければ、若い頃に思っていた四十歳とだいぶ違う。
この歳になってればもっと余裕や落ち着きが出ると思っていた。
実際中身はガキのまんまで、身体の不調が多くなってはいるけれど、考えている事もやっている事も幼くて、二十歳の頃となんら変わっていないと思っている。

一番変わった事は、周りの環境の変化だと実感している。

親は歳を取り、妹は子供ができ、友人は出世したり転職したり、否応なしに時の流れを感じる。

30代後半に離婚をし、人の人生を背負う大きな責任が無くなった事に少なからず安堵してしまったのは、自分が未熟で全うできなかった負い目にもなったが、後悔はしていない。

竹原ピストルの曲に「オールドルーキー」とい曲がある。
その一節の、
「必要なのは走り続ける事じゃない、走り始め続ける事だ」
というフレーズが気に入っている。

今まで走り続けている気になっていたけれど、ルームランナーに乗って、ただ与えられた速度に合わせて走っていた。

走り続ける事も大切だし、その継続を維持する事は並大抵の努力ではない。
走り続ける事を否定しないし、果たして今までの自分が本当に走っていたか疑問もある。

いま、自分は竹原ピストルの曲を聴き、一回り下の後輩とライブに行って、泣きたくなるくらい心に染み渡る。

幅広い人の心に響く歌、その意味を知り共感できるのは、その人間のその時の状況や気持ちにリンクして初めて良さが共有できる。

あの時分からなかったあの曲の意味を今分かるようになり、一回り下の後輩は今すでに分かっている事を考えると自分の未熟さ、それとは対照的に曲を受け入れて気に入っている後輩の歳不相応な感受性に驚く。

若い頃に無かった、これからの自分、何を成し何を残すかを考えると、四十歳はこれから先の限られた人生のやれる事を考えてしまう。

走り続ける体力は残っていないかもしれない、だけど、走り始め続ける事は出来る気がする。

それはどんな事でも構わない、ただ漫然とルームランナーを走り続けるより、ゆっくりでもいいから道を探して、変わる景色に目を向けながら走り始め続けたい。

オールドルーキー

節目を迎えた、なんとも中途半端な四十歳だけど、今までのどの節目よりも充実している。
心身共に考えが巡り、思っていた四十歳像とは違うかもしれないけれど、自分らしくこれからを考えられる。

五十歳を迎える時、どんな自分が待っているか分からないけれど、四十歳の頃よりも充実していると思えるように過ごしたい。

これからすぐに自分が死ぬかもしれない、周りの人に大きな変化があるかもしれない、そういう事が多くなる歳に、後悔を残さない精一杯を丁寧に生きていこうと決意する誕生日だった。

そんな事を思わせてくれる、周りの人達に、心から感謝したい、本当にありがとう。

こんな事言っている時点で、だいぶおっさんっぽくて、周りは笑うだろうなー。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?