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黄色

最近、黄色い食べ物が氣になっていました。バナナ、とうもろこし、卵、黄色いスイカ等々。そうしたら、黄色いキャラクターが世の中にはたくさんいることに氣づき、さらにひまわり畑というものが日本にはいくつもあるものだと知って、イタリアの古い映画を観てみました。
その映画に出て来るロシアのひまわり畑の下には、戦没者が眠っているというシーンがあり、私が黄色について立てたある仮説がまんざら間違いでもないと思ったのでした。

ひまわりの花は昔からあまり好きではありませんでした。有名なゴッホの絵にも惹かれたことはありません。子供にゴッホのひまわりの絵を見せると、「枯れてる」と言うそうです。それを聞くまでは重い印象だとは思っていましたが、枯れていると思ったことはありませんでした。確かに、いくつかはくったりして見えます。実際に近所に咲くひまわり達も、花が重くてうなだれています。

そんなことを考えていたら思い出したのです。子供の頃、祖母の家の近くに大きなひまわりが咲く公園があって、毎年夏休みに祖母の家に行くと必ずそこに行き、ひまわりに話しかけていたことを。祖母の家に着くと真っ先にその公園に行って、その夏も咲いているかを確認しました。花壇のように花が植わっている場所ではなく、ひまわり二、三本と鉄棒しかない寂しい空間です。そこで子供の身長をはるかに超えたひまわりを見上げながら、何かを話しかけていたのです。話していた内容は全く覚えていません。この頃はひまわりが好きだったのでしょうか。いつの間にか行かなくなっていました。まさか、そのひまわりの下には何も埋まっていなかったと思いますが…。

すっかり話しが逸れてしまいました。黄色という色は人間の体でいうと、太陽神経叢を表します。消化器官であるので、食べ物だけではなく情報や氣持ちの消化にも関わっているのでしょう。深く呼吸をすることで考えがまとまったり、もやもやが落ち着いたりしますから。そして注意を促したり、危険を知らせる色でもあります。信号だったらGO に近い黄色なのか、STOPに近い黄色なのか、自らの選ぶ力にかかっている感じですね。

精神的には明るい、楽しい、幸運、あるいは不安や心配などを表します。幼い子供はとかく黄色を好むといいますが、ポジティブなイメージを受け取っているのでしょう。目立つし、元氣色なのでキャラクターに多く使われているのかもしれません。でもそのキャラクター達も、可愛いや愉快だけではない表現を感じます。

私はかつて車道で拾ったセキセイインコ(色は黄色×黄緑、『みどりのゆび』にちらり登場しました)を飼っていたのですが、そのインコがこの世を旅立つ時、今にも逝ってしまいそうだったので、手のひらで抱いて一緒に寝ていました。それが突然夜中に、体を支えるのも辛そうだったのに羽を動かすので、あわてて起きて羽を抑えたのですが、凄い力で飛ぼうとします。腕が上に持ち上げられて……そして魂だけが飛んで行ってしまいました。一瞬で硬直した体だけが手の中に残されました。本当に魂が抜けた感覚を感じました。本当に体というものは脱いでいくものなのだなと実感しました。そして向かった方向が西だったのです。「Go West」は死を意味すると言いますが、本当に魂は西に向かって行くのだと思いました。

夕陽の色がオレンジだったり黄金色だったりするからか、西という方角は黄色っぽいイメージです。こんなことをつらつら思うのは、黄泉の国が近い季節だからだろうかと思って、あ…黄泉。
色にも相反する意味があるように、可愛いものや楽しいものにも別の側面があり、理不尽に思えることや、酷くなる一方ではと思う出来事にも別の側面がありますね。体や心に取り入れるものに氣を配って、ろ過装置を健康に保っておくと安心です。

では、また。ごきげんよう。


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