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9月3日 日曜日

阿部健一

リサーチチームで、プロジェクトの日々の記録をつけていこうということで始めたこのnoteだが、すっかりご無沙汰してしまった。なんどもなんども高松の町に足を運んでいるし、誰のメモ帳にも少なくない情報が書き込まれているはずだけど、更新がとまってしまったのはそれがまだ言葉にならないものだからか、全員が誰かやるだろうと思っていたのか。

6月がすぎ、7月がすぎ、8月もすぎて、今日は9月3日。過ぎたことを分析するにも、記憶はなま物である以上、時間がたちすぎてしまった記憶は腐敗が進んで、ものとしては次の段階に入っているかもしれない。それが腐っている場合もあれば、発酵している場合もあるけど、なんにせよなま物は早いうちに調理するのが良い。

ということで、まだ告知も始まっていない11月の本番に向け、ぼくは定期的にこのnoteに日記を書いてみる。高松の上演に関わるものかどうかは考えず、その日あったことを記録してみる。何でもなく過ぎ去る今日1日を、端書きにして、残してみる。よそ行きの言葉で飾らず、記録に対して誠実でいること。この作業が高松での上演につながっていくかもしれないし、つながらないかもしれない。

なお、このnoteは阿部のものではなくプロダクションのものである。この日記はその内部で阿部が勝手に始めたものだということをご理解ください。

《9月3日》

朝8時30分、おもとの会という名の元・高松の住民の会に顔を出すはずが、諸般の事情で行けず。メンバーで朝霞に住んでいる新藤だけが参加。この会は2008年の環八全線開通によって立ち退きを強いられた人々がその後も交際を続けるための会で、月に一回集まっては環八沿いを清掃しているそうだ。ちなみに環八は、このエリアが開通したことで、ようやく全線開通し、環状線となった。残念だが、次の機会を待つ。そういえば、いま森美術館でやっている『サンシャワー展』で、道路の開通に絡んだ写真や映像作品が展示されていた。新しい道路を受け入れるための儀式?をおこなう映像と、まっぷたつに切られた家々の写真だったと思う。どちらにしても、生活に巨大なものがカットインしていた。

新藤はその足で小竹向原の我が家に来て、別件の人形劇ワークショップの打ち合わせ。おもとの会でもらったさつまチップスを持ってきた。ありがたくいただく。思ってたより、スナック感が強いおやつだった。家にあったミスタイトウのクッキーと一緒にし、朝食の代わりとする。

小道具やスケジュールといった現実的な話をし、素材を探しにすぐ近くの小竹図書館にいく。

館内に親子がいて、娘はすねているのか怒っているのかわからない感情を母に向けていた。「あなたが忘れたんだよ、自分のせいでしょ?それだけはダメ。ダメです」「わかった。じゃあ、取りに帰る。鍵貸して。」「帰るの?取りに?」「10分くらいで行って帰ってくるから」「そうです」書き起こすとよく意味がわからないがこういう会話をしていたと思う。

別の親子もいて、こっちはお父さんとむすめで、娘は絶対に諦めない様子でアンパンマンの絵本を探していた。なんども何度もおなじところを回るけど見つからない。

打ち合わせも終え、新藤は去って行った。

昼食をたべて、長いこと行こうとしつつ行かなかった整体に行く。いつも行く整体院は、自転車で6分くらいのところにある。江古田と小竹町をむすぶ小竹通りの、谷の部分にある。見覚えのない若い先生が担当してくれた。下半身を中心に、ゆがんだ部分を直す先生。いつも先生とは手つきが違う。いつもより、筋と筋の境目の奥の方まで指を入れ込んできている気がする。痛みをごまかしつつ、整体院を出る。いつも、整体を出て1時間くらいは調子がいい。この整体の待ち時間に、『練馬の農業を支えた女性たち』を読み始める。読み始めて、これは口述記録なんだと気づく。生きていたら100歳を超える女性たちの、明治〜昭和初期の練馬の農業の体験談。面白い。特別でユニークな物語があるのではなく、幾重にも折り重なるような"普通"が群れている、そんな印象を持つ。しかしその普通も今はどこかに行ってしまった。


写真は、草の伸びきった南高松いこいの森


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