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【香水小説】香はかく語りき⑧SAUVAGE

毎月香水からインスピレーションを受けた短編小説を綴る本連載。
第8回目の香水はDiorよりSAUVAGE。

それではどうぞ
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岩肌のような手。それが彼の第一印象だった。
指の関節の隆起は、彼がこれまでに掴んできたものの大きさを物語っている。
人望、案件、そして家庭。

MacBookを持つ手は自信に満ち溢れ、シャツの光沢が日光を照り返す。
ムラなく焼けた肌は、ランニングの習慣が作り上げたものなのだろう。

私はそういう人種が苦手だ。
失敗を知らないのではない。失敗を糧に大きな成功を掴んできた。
そんな自信が、彼の手には現れていた。
そんな手に惹かれる女は多い。何人の女を泣かせてきたのだろう。

こんな風に勘ぐっては、彼を蔑もうとしている自分がいる。
こんなに清々しく、魅力的な人が、嘘偽りなく素晴らしい人間であった時、
私は私という人間の惨めさを知ることになるからだ。

いつもより早くオフィスに着くと、聞き慣れない甲高い声が聞こえた。
彼の子供だった。
子供を園に送った足でそのまま取引先に行くため、資料を取りに寄ったのだという。
棚に並んだキングジムのファイルをピアノのように弾いたり、ホワイトボードの黒い汚れで丸を量産したり、オフィスはたちまちレジャー施設と化した。
叱るでも落ち着かせるでもなく、我が子を視界の片隅に入れながら他の社員への通達事項をメールしている彼は、やっぱり隙がなくて嫌だった。
少しくらい余裕がない様子を見せてくれないと、本当に嫌いになってしまいそうだった。

準備を整えた彼は私に笑顔を向け、朝から騒々しくさせたことを詫びた。
いえいえ、お幸せに。と、皮肉が歯の隙間から漏れ出そうになるのを抑える。
彼は何も悪くないのに、どうしてこんなに苦手なんだろう。
そう思いながら振り返る。

あの岩肌のような手が、何も知らない柔らかい手を包み込んでいる。
その力強さで捻り潰してしまう幸せはないのだろうか。
子供の腕の長さに合わせて中腰になりながら歩く後ろ姿は、少し滑稽だった
普段胸を張って歩いている彼が、あんな風に縮こまってぎこちなく歩いている。

それでも逆光でかたどられたシルエットは、いつもより大きく見えた。
やっぱりこの人苦手だ。
だって完璧なんだもの。




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