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【美術館日記】「日本画に挑んだ精鋭たち」:山種美術館🐈に行ってきました


- はじめましてです

note記念すべき第一回目の公開投稿です!
仕事始めに、先日訪れた山種美術館のレポを書いていきたいと思います。
さてうまく書けるだろうか…。

- きっかけはSNSで

関西在住ですが、SNSで見かけたこのポスターにとても惹かれて、日本画追っかけ隊として東京までのこのこ出てまいりました。(聖地巡礼などしつつ…)

山種美術館について

概要
山種美術館は、山崎種二(1893-1983・山種証券[現SMBC日興証券]創業者)が個人で集めたコレクションをもとに、1966(昭和41)年7月、東京・日本橋兜町に日本初の日本画専門美術館として開館しました。

種二は「絵は人柄である」という信念のもと、横山大観(1868-1958)や上村松園(1875-1949)、川合玉堂(1873-1957)ら当時活躍していた画家と直接交流を深めながら作品を蒐集し、奥村土牛(1889-1990)のように、まださほど知名度は高くなくとも将来性があると信じた画家も支援しました。そして、「世の中のためになることをやったらどうか」という横山大観の言葉をきっかけとして、美術館を創設するに至ります。

山種美術館公式ホームページ
山種美術館『【特別展】日本画に挑んだ精鋭たち』チラシ


山種美術館さま、日本画好きとしていつか必ず訪れたいと願っていたので終始ウキウキ :)

展示の内容は、「日本画とは何か」を考えさせられる、とても興味深いものでした。



近代以降の「日本画」は革新的だった!

  • 「線」というアイデンティティ

  • 「線」をなくす新しさ

  • 撮影OK!映え絵画

  • これも日本画なのか!

  • 【コラム】「日本/西洋」の区切りなんていらない?

  • ダイナミックな波にのまれる

  • そして現代へ

- 「線」というアイデンティティ

まずは江戸時代末期-明治初期にかけての絵画たちが展示されていました。

やはり墨による描線は、日本画の「骨」であるように感じられます。

◇ 狩野芳崖《芙蓉白鷺》(1872年、紙本・彩色、山種美術館蔵)


◇ 橋本雅邦《日本武尊像》(1983年、絹本・彩色、山種美術館)

:文化遺産オンラインより

岩や樹木の表現に用いられた狩野派の力強い筆触、動物や草花の細く柔らかい線。
両者が絶妙なバランスで共存し、まるで線が息をしているかのよう。
さまざまな線の織りなす日本美の世界に感嘆します…!

- 「線」をなくす新しさ

岡倉天心とともに革新的な日本美術を探求した横山大観や菱田春草らは、この「線」を敢えてなくすことで光や空気を表現しようと試みました。
従来の日本画にとっては、とても斬新な描法でしょう…。
しかしこの試みが、この先の日本画に大きな変革をもたらすこととなります。


◇ 菱田春草《雨後》(1907年、絹本・彩色、山種美術館蔵)

菱田春草《雨後》(山種美術館公式ホームページ)

◇ 横山大観《波上群鶴》(1897-1906年頃、絹本・彩色、個人蔵)

これらは「朦朧体(没骨彩色)」で描かれたもの。
従来日本画の主役であった墨による線(骨線)を排除し、彩色をぼかして画中に光や空気の表現を試みています。
画面全体から水や霧の湿り気、やわらかい光、なめらかな水音すら感じることができます。

また、「朦朧体」とは少し違いますが、西郷孤月の晩年作もたいへん印象的でした!


◇ 西郷孤月《台湾風景》(1912年、絹本・彩色、山種美術館蔵)

:文化遺産オンラインより

広がりのある横長の画面に、視覚誘導的な奥行きのある構図。
あたたかい緑の世界に誘われるかのようです。

- 撮影OK!映え絵画

本展示会でこちらのみ、写真撮影OKでした!

◇ 速水御舟《白芙蓉》(1934年、紙本・墨画彩色、山種美術館蔵)

速水御舟《白芙蓉》(山種美術館展示室)

感想はまず、「映え!」でした。
一見シンプルですが、不思議と鑑賞者の目を引きます。
水墨の茎と葉に、繊細な葉脈がまるで血管のように息づいているかのようです。
胡粉を用いた真っ白な芙蓉には紅と金がポイント的に使用され、白黒の世界にパッと花を咲かせています。
水墨と彩色のアンサンブルがお洒落すぎる🫣


◇ 上村松園《牡丹雪》(1944年、絹本・彩色、山種美術館蔵)※こちらは撮影不可。

上村松園《牡丹雪》(山種美術館公式ホームページ)

繊細な線による人物表現、惚れ惚れする美しい肌感。
高く広々とした冬空の空間表現も面白いです。
女性の気高さを感じざるを得ません!

- これも日本画なのか!

◇ 落合郎風《エバ》(1919年、紙本・彩色、山種美術館蔵)

:文化遺産オンラインより

こちらを見た時、実はすごく驚きました。
彩色やモティーフが西洋風であるうえ、人物はインドチックな女性なのです。
それが、日本風な金の屏風に描かれている…。
最初はとても不思議な感じがしましたが、なんと異文化理解の深まる屏風絵なんだろうとじわじわ興味が湧いてきました。
「これも日本画かあ!面白いなあ!」という気持ちになります。

【コラム】「日本/西洋」の区切りなんていらない?

ここまできて、「日本画」って何だろう?「描線とかモティーフとか、関係ないのでは?」と思惑し始めます。

そもそも日本画と西洋画の区切りって一体…?
菱田春草の、次の言葉が興味深いです。

画界漫言

菱田春草


 現今洋画といはれてある油画も水彩画も又現に吾々が描いている日本画なるものも、共に将来に於ては――勿論近いことではあるまいが、兎に角日本人の頭で構想し、日本人の手で製作したものとして、凡て一様に日本画として見らるゝ時代が確に来ることゝ信じてゐる。で此時代に至らば、今日の洋画とか日本画とかいふ如く、絵そのものが差別的ではなくなって[#「なくなって」はママ]、皆一様に統一されて了ひ只其処に使用さるゝ材料の差異のみが存することゝ思ふ。

「画界漫言」『絵画業誌』275号:会場にて掲示あり


なるほどこれだ!と思わされました。

何度読んでも、核心を突いていると感銘を受けます。
日本画と西洋画を差別化する必要など、はなからなかったのかも知れないということ。
「日本人の頭で構想し、日本人の手で製作したもの=日本画」で良いのだと!

この一つの回答を得てからというもの、この場にある絵画すべてを「日本画」として享受し、
同時に差別化する必要のない、きよらかで純粋な芸術作品として心の中にスッと入ってくる感覚を覚えました。

- ダイナミックな波にのまれる

◇ 川端龍子《鳴門》(1929年、絹本・彩色、山種美術館蔵)

今回のポスターにもなっている、本展示の目玉作品。
六曲一双の、とてもダイナミックな屏風絵です。
こちらなんと3.6kgもの群青を使用して描かれているとのこと…!
力強い生命が流れるような迫力は圧巻です。

- そして現代へ

◇ 千住博《ザ・フォールズ》(1995年、紙本・彩色、山種美術館蔵)

上記《鳴門》とはまた違った水の絵ですね。
まるで水の精が出てくるのではと思わせるような、透き通った滝の表現。
繊細な流れに惚れ惚れしました…。
ひんやりとした、清潔な空気感を味わうことができます。

◇ 並木秀俊《白鳳》(2023年、銅板・截金・彩色、個人蔵)

まさに超絶技巧!
截金と彩色で製作されたという本作、日本の伝統が現代アートとなって息づいています。
側には截金の製作過程が知れる展示もあり、楽しく鑑賞することができました!


◇ 松尾敏男《翔》(1970年、紙本・彩色、山種美術館蔵)

松尾敏男《翔》(山種美術館公式ホームページ)

実は展示室に入ってまず目を引かれたのがこちらでした。
(ほんとうは最後に見るべきものだったようですが私はこれから見てしまいました…)
戦後の「日本画滅亡論」を乗り越え、新たな息吹をたたえて舞い上がる日本画、そのものを具現化したような作品。
画面下方から上方へと、「死からの再生」を表現しているかのような力強い生命力を感じます。

「日本画とは何か」を追い続けた松尾敏男の作品は、その言葉通りの模範回答を提示してくれました。
「日本画はその時代に応じて変化していくべきで、根本の大事なものさえ失っていなければ、それは日本画である」のだと言います。(展示室に掲示がありました。)


- さいごに

これまでの私には、日本画は時代が新しくなるにつれて、洋画との境界を霞ませているように見えていました。

しかしそれは自然の成り行きといいますか、人が時代とともに変わっていくのだから、絵画も変容して当然であると、強く訴えかけられました。

近代からの革新的な試みから始まり、現代にもその流れが衰えることなく続いている…。
日本画とか洋画とか、どちらが優れているか劣っているかなど、分け隔てることなく、純粋な芸術として楽しむ時代が来ているんですよね。

山種美術館さま、ありがとうございました!
またお伺いしたいです♪

今回で、「日本画とは何か」という疑問に対する回答を得ることができました。

そこで新たに!

「日本画の根本にある大事なもの(日本画の本質)」って何だ???

という疑問が生まれました…!

まだまだ私の「日本画」を追究する旅は続きそうです🌝
今からワクワクしてきますね!

次回からもこんな感じで、駄文を綴りながら自分なりの追究をしていきたいと思います!

お読みいただき、誠にありがとうございました!

- おまけ🍂

代々木公園、初めて行きました!ハートヒーリングでした…
次回の東京遠征で再訪確定です☺️


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