ももと容姿イジり

90年代後半から2000年代のバラエティーで整形美人というのが流行っていた。昔いじめられていて整形して人生が変わったというもの。
司会者が整形した人に昔のあだ名をたずねると皆、口をそろえて「ペヤング」と答えていたのが印象に残っている。
笑いは差別を含んでいる。人の容姿を何かに「例える」笑い、これは脳みそを使う「上向き」の飛躍の笑いだ。人の容姿をブサイクと直接的なことを言いバカにする笑い、これは「下向き」の笑いだ。
さて、「ペヤング」というあだ名だが最初に言った人は顔の形や雰囲気をとらえた例えの笑いだっただろうがそれをテレビで見て、人を笑いものにするように運用されたものはただの悪口だしイジメだ。

松本人志は著書で笑いには愛がなければいけない。と言っていた。この愛とはなんだろうか?

関係性だと思う。親が子に「あんたブッサイクやな〜」と言い子が「うっさい!あんたに似たんじゃボケ」と言ってお互い笑い合う感じや友人関係の間で容姿をイジるけど一緒に弁当を食べたりサッカーをやる感じ。下向きの笑いを運用していても関係性に愛がある。
個人的に一緒にメシを食えるかがかなり大事な気がする。

さて、ももの漫才だがもちろん上向きのイジり合いの漫才。だが、どこか表層でやっている気がした。なんとなく相手に言われた事に対してくらっていない感じがした。
というのも眼鏡のせめるは、いわゆるクラスの大人しいメガネ君という感じがしない。オタク要素も薄そうでヤンキーにも見える。金髪のまもるは、いかついのだがどこか親しみだとか可愛さが見える。

もっと深いところを突ける。深く愛しあえるのではないか。と思った。

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