見出し画像

・寺と薔薇日本一多い愛知県 姫


近所のじじばば36名と、盛り沢山な、年一度の日帰り旅をした。
甚目寺観音〜七宝焼体験〜関宿〜能褒野(のぼの)神社。


まずは甚目寺観音へ。
尾張四観音の一つで、節分行事が有名だ。
日本に仏教が伝来した538年の60年後に、
創建された、愛知最古の寺院である。

南大門や三重の塔、東門、不動明王像などの重要文化財を有する。
威厳はあるが、どこか親しみやすい、明るい雰囲気がいい。

終戦後、この寺に1年ほど住んでいた。
財閥解体で、東京から名古屋勤務となった父らのための、借り上げ社宅である。

どんな暮らしをしていたのか?
残念ながら何も覚えていない。


近くのあま市七宝焼アートヴィレッジへ。
古代エジプトに発した七宝は、正倉院御物にも見られる。
近代七宝は江戸末期、この地で生まれ、広がった。

われわれの会は、昨年から手づくり体験の旅を
している。
手漉き和紙、陶芸、七宝焼…。

和紙の額は居間に、陶芸のカップは毎日コーヒーを。七宝はペンダントにした。
それもいちばん小さなハート型を選ぶ。

シンプルに朱一色。
釉薬を数回に分けて、ハート型のベースに施す。
その上に、青黄緑色のガラス粒を幾つか載せて、焼成を待つ。
繊細な作業だ。

出来上がるまで、尾張七宝の名品や道具類の鑑賞、製品の見学や購入を楽しむ。

伝統工芸は、製品にするまでに手間がかかる。
優勝カップやアクセサリー、花瓶、額、皿など。
大切にしたい、愛知の特産品だ。
手づくりアクセを早速着けて、ご機嫌な私。

ランチは関で、松坂牛2切れのすき焼き定食。
美味しいが、ちょっと物足りない。

東海道関宿へ。
古代三関のひとつ「鈴鹿関」が置かれていた。
東海道53次の、江戸から47番目の宿場町だ。
旧東海道の宿場町で唯一、歴史的町並みが残ることから1984年、国の伝統的建物保存地区に選定された。

東西約1.8キロメートル。
町屋が200軒余残っており、壮観だ。

何度も訪れているが、江戸菓子屋以外にほとんど店がなく、寂れていた。
最近は、カフェや土産物屋などが連なる一角もあり、町興しが進んでいるようだ。

江戸時代から続く桶屋を訪ねた。
木の匂いがうれしい。

職人は1人だけ。
後継者はいない。
我が家でも寿司桶2個、お櫃が1個ある。
そのうちよく使うのは1個だけだ。

寺や旅館、資料館なども訪れたが、三大関所の鈴鹿関が置かれた土地ならでは。風格のある建物で構成されている。

ガイドの若者と話したが、のんびりした感じだ。
観光客が増え過ぎてもねえ、馬籠のようにはなりたくないよ、と。

最後の訪問地は、近くにある能褒(ぼ)野神社。
ヤマトタケルは、この地で死去したという。
前方後円墳があるが、足元が悪いのでパスする。

明治時代に、地元の有志により、弟橘姫とタケルの子タケカイコノミコトも含めた能褒野神社が創建された。

雨にも関わらず、爽やかな雰囲気の神社だ。
我らが氏神とも縁があるので、印象深い。
宮司は保育園を営んでおり、ジャージー姿で古代史を熱く語ってくれた。

ハードなスケジュールをこなして、ちょっと疲れ気味だ。
またのイベントに期待したい。

塔頭の借り上げ社宅敗戦忌 

重文の寺が社宅や水鉄砲 

片陰で鬼ごっこせし友は今 

七宝焼のアクセづくりや大夏炉

白シャツに朱色の七宝焼アクセ

じじばばの七宝焼体験朱夏のいろ

天保の尾張七宝薄暑光

夏木立に群れて白鷺花の如

ジャージーの宮司の古代史五月雨るる 

夏の霧タケルの古墳藪の中 

荒梅雨や記紀より漏れしタケルの子 

















この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?