好きなものの話をさせろ

好きなものの話がしたい。相手に伝わらなくてもいいから、気持ち悪い笑みを浮かべながら語りたい。好きなものを好きというときの語彙が罵りだったりするからオープンな場ではやりにくい。気持ち悪いは褒め言葉だ。めんどくさい、も。私の語彙でほめたい。

何か・誰かを好きになりたい。推しが足りない。きみは本当にすごいやつだな、と言いたい。君はほんとにしょうもないやつだな、と言いたい。何と言うか、信じたいのだ。

嫌いなものの話がしたい。なんで嫌いなのかを分解したい。嫌いの根本にある自分の気持ち悪いところを探りあててアタタタタってしたい。そして生ぬるい目で見つめたい。

矛盾したい。ふっとどこかに旅に出たい。全部投げ出して池で楽器を弾きたい。わがままを言いまくりたい。変な奴に戻りたい。あの頃は何をしても許された気がする。気がするだけだけど。今でもたぶんけっこう許されてるけど。

自分の中の現実的で合理的でつよいところと、リリカルで暗いのが好きなところの温度差のある同居が嫌いではない。心の片隅のシニカル野郎は忙しいね。

批判されたい。わたしは常に正しくないので。正しくなくても私の存在自体はうるわしいけれども。

たくさんインプットしたい。頭の中をぐちゃぐちゃにしたい。バリバリにタスクをこなしまくる有能うにを発動したい。
でも、頭の中を澄み切った空間にしたい。修道女とか悟り開いた人みたいな静かな整った何か。静かに祈りたい。アウトプットをしたらすっきりするかと思って今、これを書いている。そんなことはなかった。

音楽を迷いなく好きだった頃に戻りたい。でも、好きじゃないときもあることを許せた自分が好きだ、そこで葛藤してる自分が好きだ。

整合性のとれたキャラクター付けを心がける、健全なことを言う、有効な努力をする。そういうのに少し疲れた。だから、こんなことを書くとあとで恥ずかしくなるとわかっていて、それでも書く。わたしは、自分がこんなことを書きながらもまた明日からは何とかすることを知っている。こういうのを抱えながら自覚しながら、時には愚痴をこぼしながら日常を遂行できることを知っている。すごく病んでるように見えるかもしれないけれども、本当にまずいときには他人に頼ることを知っているし、陰も陽も併存できる。

わたしは大丈夫だが、生きていると澱がたまる。だからたまにはまとめてつらつらと文章にして供養してやってもいいかな、と思ったのだ。

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