コロナ関係の。その1

1. 選択の疲れ

コロナ疲れ自粛疲れと世の中で言うあれはなんなんだろうか。休みになったり活動自粛したりして肉体的には楽になった人が多そうなのに。でもたしかに私も疲れた。

さみしさとか不安感とか気晴らしできないつらさとか多分色々あるのだけれども、今回取り上げたいのは「不確定な状態で決断しなければいけない疲れ」である。

情報収集して評価を下す疲れ
普段だったら何も考えずに出かけたりイベントやったりするところを「密だろうか…」「行ったらたたかれるだろうか?」と思考して決めて判断しなければいけない疲れ。
オンラインで何かやるならやるで新しいことを学んで順応して「いつも通り」ができない疲れ。
危機的状況にあることに対して何か「行動する」ないしは「行動しない」という決断をする疲れ。

「やる」にしても「やらない」にしてもその決断の良し悪しは今はわからない。やったらやったで及ぼしたかもしれない害に思いをはせ、やらなかったらやらなかったで「できたかもしれない」と残念に思う。

「こうなったらいいな」「これが残念だ」だけでは物事は進まない、と私は思うしそういう人間にはなりたくないなあと思う、から決断とその対処行動をできる限り積み重ねてきたつもり。そのことに悔いはないけれども、その分こういう状況で疲れが蓄積しやすいのかもしれない。

ということで、このコロナ騒動によって普段とプラスアルファで何を選択し行動してきたのかを書き出してみた。

2/19 ICFコロナ対応開始。講師や関係者から情報収集
2/22,2/23 フィスダン行かない選択
2/26 ICF中止決断。返金処理や説明などの対応作り。
3/1 ケーリーに行かない選択
3/5 ハルパの個人レッスン受ける選択
ひろしのコロナ関係あれやこれやに関わる選択
3/11 奈良への旅行に行く決断。名古屋に行かない選択。夜行バスは使わない選択
3/14 セッションに行く選択
3/15 ケーリーに行かない選択。ダンス会に行かない選択
3/20 かいさんちに行く選択
   ケルトの笛屋さんにサークル宣伝をお願 いする決断、サークル情報収集、ひきこもりに必要な資料収集
3/21 ケルトの笛屋さんや追いコンに行く選択
3/25 アイリッシュ資料ブログ作成の選択
3/29 おうちで楽しむアイリッシュ立ち上げの選択、執筆、校正 
3/31 アイリッシュ誰の演奏か当てようゲーム主催&記事書きの選択、他色々ゲーム作ったり
4/11 アイリッシュ文化を守る会の会議準備(資料作成、メンバースカウト)
4/13 コンサミーティング開催の選択
4/15  守る会会議開催、継続の選択
4/17 守る会へのスカウト×2
4/20- パブやその関係者へのメッセージ×8人、記事確認などの連絡×6軒、応募フォーム修正
4/28 パ文学記事を書く選択、マイキー記事
4/29 オンラインパブをやる選択、注意書き作成、進行、時間割作り&修正
[これからする選択]
・アイリッシュ界隈への追加支援・ひろし支援
・大学院入試
・卒論テーマ

派生する細々した修正や意見、常時している情報収集とアセスメント(これが意外と疲れる)までは書き出してないけど、やっぱり明らかに色々増えてますね。

2.面白いこと

もちろんおもしろい面もあって、こういう中で人々がどういう動きをするのかしないのか、この人はこういう時にこういう行動(言動)をとるのね、といろんな人の振る舞い方も色々見えてくる。実際にいろんな価値観のステークホルダーが集まるってこういう感じなんだな、と見られたのは面白かった。


私自身はそこまで危機が身に迫ってはいない。学生だから経済的に打撃をこうむっていない。極端な話をすると最悪公園やスタジオでもセッションはできる。ニッケルハルパ協会は普段から公民館でやっている。専業ミュージシャンがいなくても困るということは実はそんなにない。ケーリーも最悪CDでやればいい。もちろんこれまでたくさんお世話になったから支援するしもちろんあったほうが圧倒的にいいけど、無いとやばい!!となるほどでもない。そして他人様の事情に勝手に入っていくのはためらわれる(簡単にパターナリズムに陥りそうで…)。

そういう立場だからこそ、この人のアイリッシュの定義ってなんだろう、とか、こういうことがやりたいんだな、とか、余裕がないんだな焦ってるんだな、とか色々傍観することも多少できて面白い。

それから最近はひろしの裏で色々やっていることが多いのだけれども、こういう立場面白い。ひろしと仕事をすると夢を現実化する、資源を引っ張ってくるみたいな役回りになりがちなのである。なんにせよひろしは休め、寝ろ。

世の中一般みたいなのってこういう感じなんだなあ、と思った。できないことをしつこく嘆いて「こうしたらいいのに」と愚痴る(なお具体的な行動はしない)のは好きではないんだが(良いこと何もない)、そういう流れがけっこう見られたのが興味深かった。

それから、友人と「会う」ってなんだろう、「楽しい」ってなんだろうと問い直せたのも良かった。例えばZoomでのオンライン飲み会は「会う」に入れられますか?(私はNO) 通信ラグとかそういう技術的な面がすべて解決して全身等身大で写せるようになったらそれは「会う」なのかしら?…などなど
こうして考えていくと「会う」ってことの本質は何なんだろう、と悩む。面白いですね。

今のところ考える要因としては
・情報量(表情、身振り手振り)
・空間の共有
・(複数人の場合)複数人の大部分に意識が及ぶかどうか
・「会う」ための手間(電車に乗る、待ち合わせるなど)

3.時間がないぜ

なんだか最近バタバタしてるなあ、と思っていた。院試のドキドキやら色々で気持ちがバタバタするのとは別で、時間がない。なんでだ。考えてみれば講義は週16コマあるし毎日平均1000文字くらいの連絡やらレポートやら記事やら資料やら書いて、何よりなんだかんだ毎日本2冊+αくらい読んでるんですよね。ネット小説カウントしてないから気づいてなかったけど文字数換算してみたらやばかった。おめでとう私、時間は蒸発してなかったね。


とせっかくの休日の朝の1時間半を使って2500字書いたのでした、ちゃんちゃん。

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