2022年のぽえむ

この一か月色々なことを考えていた。恋愛だったり自分の調子だったり研究だったり就活の面接で深堀された過去だったり。自分の新たな感情や特徴を知って動揺したりもした。まだ整理がつかない。つらつらと書く。

何か急に新しいものに出くわしたときの姿勢
何かせざるをえない状況に投げ込まれたらとりあえず突っ込んでみる、身を投げ出してみる、何か行動を起こしてみる、失敗しても失うものがないのだからやる!という姿勢が、初めての事象にも俯瞰のほうの自分で対応して一見平気な顔でそれなりにやってのけるという慣れにつながっている気がする。でも俯瞰のほうの自分は周りの求めること、状況の要求することをやっているだけなので自分の幸せにはつながらない行動も起こしたりする。一回目はうまくやり過ごせても二回目以降ギクシャクしたりもする。でも一回目それなりにやれたからと期待されてしまうのがつら…かったのかもしれない。わからない。

自分の感情の受け止め方
基本的にわたしとは別の「感情さん」がいて、それに対して外からどこか他人事で何かやるというスタンス。これはある意味かなり機能していて、傷つくようなことを言われたりされたときにその感情から距離をとって相手の背景とかキャラ・類似の物語まで思いを馳せて心を守る、みたいなことができていた気がする。
ただ、それでも全く傷つかないわけではなくてじわじわとダメージを受け続けるし、自分の感情を自分の感情として引き受けられず理性のほうで対処しようとするので強い感情が来たときに受け止める術を持たないのかもしれない。自分が傷つくことを許せないというか。俯瞰のほうの自分が本来のピュアな自分の欲求を捻じ曲げてしまったりもしていた。その時はなんともおもっていないつもりでも、あとで「不満に思ってたんだ」「あのときわたしは怒ってたのか」「そんなことに傷ついて不安になっていたんだね」みたいな発見が幼少期~今まで本当に多い。
あと、こういう自覚していない感情が今までの色々な行動の原動力だったのを発見できてよかった。(就活の面接の人事の人に「情熱的な部分とすごく合理的な部分が極端に両方あって面白いですねえ」と言われた。たしかにね。感情や情を原動力に手段は合理的にということなんだと思います、と返した気がする)

一生懸命コミュニケーションをとった
人を傷つけているかもしれない、傷つけたかもしれない、傷つけてしまった、もう傷つけたくない…という思いはこれまでも色々あった。それは恋愛のことだったり友人のことだったり色々ある。これまでの必ずしもうまくいかなかった経験が、ゲームのダメなほうの選択肢みたいに浮かんで不安になったり、社会規範や常識に縛られたり。そして一人でぐるぐる考えて先回りをする。「傷つけるかもしれない」と思ってもそれをどうにかできる問題じゃない時には当事者本人には何も言わない相談しない、相手に負の感情を渡すのは相手が処理可能・対応可能な状態まで自分の中で調理できたものだけ。どうしてほしいか何を要求しているのか、相手に明確にわかるような事柄しか言ってはダメだという気持ちがあった。

でもこのひと月はたぶん解決できないこととか相手に何を要求してるのか分解できていない感情も自分のこころに従って言語化して伝えてみた。その人にはきっと難しいことだとはわかりながらも自分の希望を言ってみたりした。自分の中で許せない感情とか、言えなかった言葉とかを口にした。ある意味こういう自分の感情の込み入った部分に向き合って触ることはとても負担が重くて一生懸命作った理性のかさぶたを自分で引っぺがす、または質問によって引っぺがされるようなものなので、話ながら涙が出ることも多かったけれども成長はしている気はする。

他人に期待する
関連してわたしは基本的にひとを尊敬しているが、それはあくまでその人の得意なところ美しいところに注目しているだけだった気がする。ダメなところはそれはそれで愛せるのだけれども。他人に何かを求めるときは「何か」を明確にしてそれに適した人に求めるというやり方をしていてある意味他人に期待していなかったとも言えるなーと思った。あくまで私の明確化されたニーズに得意分野を生かして対応することを期待していたに過ぎず、私のコアの部分を受け止めてほしいみたいな期待はなかったように思う。

他人のコイバナに口を出しながら「選択をそれからずっと正解にし続ける努力」という言葉がふと出てきた。幸いなことに少なくとも人間関係の選択に関しては正解に近いと思うけれども、それを正解にし続ける努力をわたしが今までできていたかと言うとそうではなかったな、と思う。正解であるその人自身を愛し、それが私と道を違えたならば即あきらめて別の道の門出を祝う、みたいな。

今は人間は変化することができる、みたいな可能性を感じている(他人に対しても自分に対しても)

俯瞰、他人事、期待しない(明確なことだけ期待する)、相手からの自立みたいな感じだったのが、自分の感情にちゃんと向き合って、他人に体重を預けてみるみたいなやり方も使えるようになったら最強のうにになれるのかなあとぼんやり考えている。

追記:かさぶたはがすのやっぱりしんどい
誰かに話すことや言語化しようとすると、そこの感情が全部よみがえるので別に嫌なことやつらいことばかりではないのに突然しんどくなる。どうしたものか。向きあわないほうがいいんだろうか

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