この頃の話

ここ4カ月くらいずっと調子が悪かった。
一つには自粛によるストレス的なものがあったんだと思うんだけれども、音が怖くて音楽やりたいのに楽器を持つまでに多大な勇気が必要、どうしよう、あらゆることのやる気失せにけり、という感じだった。

まあ別に音楽できなくても生きてゆける、のだけれども、やっぱり音楽は私の「楽しい!」の中核をなしていたみたいで、「今後の私に楽しいことはあるのか…?」という気持ちになり(いや、あるとは思うんだけど)、もう全般的に萎えた。タスクをこなすのはけっこう好きだけれども、それはその先に「よしこれ終わったらハルパ弾く時間がとれるぞ!」的な楽しみがあったのが一因だと気が付いた。
音楽以外にも楽しいことはあって私は本来そういうのを見つけるのが得意なはずだったけど、その時は他の楽しみを見つけるのが難しかった。

これはまずいな、と思って色々手を打った。相談したりおそるおそる楽器に手を出してみたりピアノだけならと思って弾いてみたり外で弾いてみたり。それでもいまいち効果は出なくて、今日は調子よくて弾けるぞ!と思うと翌日弾けない翌々日も弾けないその次の日も弾けない、の繰り返し。未来に希望が抱けない感じが続く。
私はまずいことがあると、連鎖的にまずいことを想像したり思いだしたりして負のスパイラル起こしがちなのだ。とはいえ、負のスパイラルうにと同時に、ポジティブうにと俯瞰するうにとシニカルうにもいるので夜寝付けないという程度のあれだったんだけど。


それで、振り返って考えるに今までポジティブうにで対抗しようとしてきたけどそれでは上手くいかない(頭ではわかってるけど説得できない)ので、シニカルうにの方向性でやってみようと思った。
ざっくり言うと音楽で得る楽しさに期待しない、自分に期待しない、所詮人生虚無である、って感じの方向性。参考にしたのは(わたしから見た)徹也的思考。

それから、たぶん客観的な「大丈夫」を積み重ねる必要があったんだと思う。

何にせよ、つらいかもなと思いながら引き受けた3日間耐久ICFzoom当番もつらくなかったし、そのあとばやしさん達ともセッションできた、ハルパも弾けた。

なんとなくやっていける気がしてきてよかった。ブリッドさんとメアリーさんとトミー(装飾キモイ)マッカーシーさんは良い。
とはいえまだ疲れるし、たぶんこれは続くやつなので、無理せず、でも上手く周りの力とか環境を使って「できる」を積み重ねながら音楽を楽しんでいきたいなあと思った。
今まで基本的に「なんて美しいtune/音なんだ…!」っていうキラキラした気持ちで音楽をやってきたから音楽が楽しくないのを許せない、みたいな気持ちがあった気もする。それから自分のアイデンティティとして「何かを全力で好き」というのもあったからなおさら許せなかった。「周りの人となんとなくやる」とか「やるって言っちゃったからやるか」くらいのキラキラしないスタンスのうにも自分の中に置いときたいわね。

そういうわけで自分への小さな宿題を続ける意味で#いいねされたらその人っぽいtuneやる をやっている。


そういえば、「徹也的思考」って書いた。
自分の中に友人の支部置くの便利。「私の中のにしかわがうずいた」とか。これはまた別の機会に書こうかな。

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