ハイブリッドな親子の社会学 血縁・家族へのこだわりを解きほぐす

序章 「育児の社会化」を再構想する
・実子主義(血縁にこだわり)×家族主義(家族だけで子育て、保育所利用に罪悪感など)で4象限に分けられる。
・他3象限も、「実子かつ家族」の擬制であったりする。⇒実子かつ家族が他の形よりも上位。これが親の排他性となったり、育児の社会化の阻害になっているのでは。

第一章 代理出産における親子・血縁
・権利や決定権:代理母<依頼者 生殖ツーリズム、過小評価される「生みの親」
・障害のある子を引き取らない依頼者、介入する依頼者、無関心の依頼者…
・卵子提供しない依頼女性:血縁は男性側だけでは?

☆感想
・生みの親に対する搾取(法制などで改善できるものとできないことがある)
・代理母の気持ち:生んでみないとわからない、当事者じゃないとわからない

第二章 特別養子縁組の立法過程からみる親子観
・特別養子縁組:実親との親子関係を法的に解消 実子の擬制?
(⇔普通養子縁組:親は二組、実子入籍:そもそも実親との法律関係なし)
・1982年~法制審議会での議論
①子供のため 最良の施設<家庭 子供に家庭を与える
②相続・扶養の目的でも使える普通養子縁組との差異化
③実子入籍(トラブル多い)からの移行、法律的に実子として同様に育てるのを認めていこう
④外国の動向

戸籍の記載を実子と同じにすることに対して
・賛成:子供に産みの親だと信じ込ませるほうが上手く行く、婚外子であることを隠す、産みの親の保護、そもそも実子とは産みの子ではなく国家による親子の承認
・反対:戸籍の信頼性(近親婚や血統調査)、親子関係に悪影響(あとでばれる、戸籍で実子かどうかは関係ない)、子供のアイデンティティ
【対応】生みの親はたどれる、戸籍の信頼性はOK,真実告知を基本(法律的強制なし)、養親が唯一の親

実親子の法律関係を断絶することについて
・賛成:子に対する実親の干渉を防ぐ、生みの親の保護、子供の心理的安定
・反対:実親から受け取れる権利・義務がなくなる、親子の情愛に反する、子のアイデンティティ
【対応】要保護案件(生みの親が育てられるなら育てるべき)、実親の同意、交流はさまたげない
血縁<排他的な親子関係という判断

・血縁:子供に血縁があるかのように思い込ませればOK⇒シンボル・虚構
・実子、養子の戸籍上の書き分け:養子の戸籍を、実子としても「嘘」、養子としても「区別している」⇒差違のジレンマ 血縁にこだわっているという批判 
・血縁:子供のアイデンティティとしての役割をもつように

☆感想
・家庭内、または親間のことにも関わらず社会のスティグマは入ってくる(血縁主義、婚外子)
・子が「生みの親じゃなかったんだ…」と衝撃を受けるのは社会がそうなってるからでは?
・排他性に驚いた。親権はまさに「権利」であるなあ、、と。

第三章 「家族」のリスクと里親養

・里親養育:公的な児童福祉の制度(1947年児童福祉法)
・社会的養護:「保護者のいない児童、被虐待児など家庭環境上養護を必要とする児童などに対し、公的な責任として、社会的に養護を行う」施設、里親など
・2002年~里親制度大幅改革、2011年「施設養護よりも里親を優先すべき」

里親の存在の変化 被支援者へ
・1980年代普通の人(個人の資質で立派な親になる) 児童相談所=指導
⇒1990年代里親の養育困難問題、被支援者へ 児童相談所=相談・支援

里親の意義
・施設との比較:特定の大人との愛着関係
・近代家族モデルに基づいた「安定した温かい家庭」の提供
⇔子供たちは過酷な環境を生き抜いており普通の暖かい家庭からの逸脱⇒養育困難

論点:里親の利益は子供の利益か、どこまで里親への支援を増やすべきか

☆感想
・子供たちの育ってきた環境を考えると里親家庭が「普通の」家庭であるという想定はたしかに無用かもしれない。
・子供のためにどこまで支援を増やすべきかという問題は支援の形にもよるのではないか

第4章 「施設養護」での育児規範の「理想形の上昇」
・1960-1970年代、捨て子の社会問題化:数が増えたわけではなくむしろ減っているが注目されるようになった。

・戦後日本の児童福祉策は家庭にいる子供ではなく、そこから「はじきだされた子供」に力を入れていた(施設養護や里親あっせんなど)

・ホスピタリズム(施設病)
施設養育の子どもの発達上の問題 「最悪の母は最良の施設に勝る」
施設だからといって実子主義、家族主義から自由だったわけではなく、むしろ負のラベルを張られ比較対象群として扱われ、家庭的な場所に近づけるように努力された。

・その後の逆の流れ
実子家庭にいても虐待や遺棄にあるおそれのある子どもを保護すべきだ!もっとそういう子どもを発見すべきだ。その避難場所として施設が必要だ

・まとめ
家庭で育つことが大事だ⇒理想的な育児規範を遵守する実親・家庭で育つことが大事だという理想形の上昇

☆感想
最悪の親は最良の施設に勝る は衝撃的。これは現代の価値観なのか

終章 〈ハイブリッド〉性から見る「ハイブリッドな親子」のゆくえ

融合
・生殖と養育の分離 同時に子供の出自とアイデンティティの接続
・「親にしかできない部分は親が継続して行い、他は社会にゆだねて」⇒親にしかできないこと は何か?解釈の政治が行われている
・代理母ではこの解釈が代理母にとって不利に行われている

反転
・「親子関係が排他的になると、非血縁親子では論点が反転し、今度は生みの親を排除することになる」
生みの親こそ親である、に対する批判 から 育ての親こそ親である、に対する批判
・子供のケアに関して、非家族は家族に近づこうとし(ex.家庭的な施設の固定した職員)、家族は非家族に近づこうとする(親以外の複数の養育者を認めよう)

競合
・どのような親子・子育てが良いか(産みの親、里親、養子縁組、施設…)
政策・当事者・現場の専門職で序列は違う。さまざまな選択しは同じ位置づけで存在していない

まとめ
生みか育てか、家族か非家族かという二分法からは卒業したほうがよいね!

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