苦手と怖いとやらない について

苦手、怖い、やらないは別。
苦手なことであっても、頻度高く行っていると「この人はこういうのが苦手じゃないんだな、得意なんだな」と認識されてしまうよね、というお話。でも、「苦手だからやらない」という選択肢をとらないだけで苦手なのは苦手なのである。

会のホストをしたり仕切ったりすることがまあまああるのだけれど、そういう人前で話すのがけっこう苦手だ。と言ってもわりと信じてもらえない。まず、ごちゃごちゃした脳内とか説明とかを文字を書かずに整理して声で出力するのが苦手だし(文章のほうがやりやすい)、そもそも目立つのは好きではない。
加えて、そういうのを「上手く」できている感じが全然しない。どうしたらいいんだろう、と途方にくれながらしゃべったりして頻繁にやらかしている感じだ。「あーあ…」の連続
もし、私以外のひとがやってくれるならお願いしたい。

でも、結果として「やる」のはなぜか、というと、
・必要だから
・状況的に私がやるのが一番マシだから/早いから
・企画したときには自分が苦手なのを忘れている
このへんが理由だったりする。当たり前すぎて最近まで言語化できてなかった。大体私がやろうとすることは、言い出しっぺ私なので私がやらなければたぶん存在しないし、私がやるのが一番早い。ゴミクオリティで出すことよりも、改善できるのに/必要なのにやらないことのほうがもやもやする。3つめはシンプルにアホ。

逆に「苦手だからやらない」人はなぜなのだろうか。上のをひっくり返すと
・必要だと思っていないから(コミットしていない)
・自分より上手くできる、向いてる人がいるはずだ
・自分が苦手なのを忘れない
ということになる。やってくれないな、と思うときそれは大体1つ目のところを上手くできていなかった、主体的に関わる空気を作れていなかったのだろう、と時々反省する。
二つ目に関しては、なんだろう。そういう人は全世界には存在するかもしれないけど、この状況で可能な中ではあなたが最強よ、みたいなときにも持ち出される論理な気がする。他人の評価が高いのかもしれないし、理想が高いのかもしれない。三つめはうらやましい限りだ。

他には
・損をしたくない、失敗をしたくない
それはその通り、合理的だ。わたしはそういう意味ではリスクをとりすぎだと思う。ただ、わたしが見ているのは狭い意味での自分の利益や能力誇示では全然なく、物事がうまくいくことなのだ。そういう意味では、わたしがポンコツであることなんて些末な問題なのだ。

ちなみに、私が「やらない」と決めているのは「怖い」ことだ。怖いことを無理やりやってロクな目にあったことがない。

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