祖父の死

何かの癌を患っていた祖父の危篤の電話が入った。私は前述したように祖父からの性的虐待に3年ほど耐え、すっかりその事実にふたをして生きていた。祖父は性的虐待はしたものの、私への溺愛っぷりもすごかったので、私はそれはそれは悲しかった。連絡を受け急いで地元に帰るとそのままショッピングモールに連れていかれ喪服が用意された。電話では私が取り乱さないように母から「亡くなってないから、大丈夫、ちょっとね。」と言われていた。普通にわかる。「あ、死んだんだな。」お店で泣くわけにも行かないし、だれも死んだ事実を教えてくれないので、もし万が一死んでなかったら不謹慎だし私は沈黙を貫いた。そしてそのまま葬儀場に連れていかれた。お通夜だった。私は母も同席するものだと思っていたが、一応元嫁ということで参列するわけにはいかないと、そのまま家に帰っていった。

私はまるで女優のようにさめざめと泣いた。とりあえずたくさん泣いたことしか覚えていないけれど、恐らくそこまで悲しかったのは私の人生に大きな爪痕を残した人の死に対する悲しさであり、一般の人の「おじいちゃん死んでかなしいよぉ」とは異質なものだと思う。

だって目の中に入れても痛くないほど溺愛してくれた祖父=初体験の相手って何かもう気持ちが複雑にならん?

そして四十九日を迎えた。父が四十九日の場に一人の赤ん坊を連れてきた。男の子だった。すでに再婚相手との間に2人の女の子を授かっていたが、ようやく待望の男の子が生まれたという大発表を四十九日の席で行ったのだ。普通に頭おかしいわこの人って思った。集ってくれた方たちも、「きっと生まれ変わりやね」というには早すぎるこのタイミングに何も言葉が出ず、「かわいかねー」と言いながら酒を飲み、食事をした。

そして、まだ祖父の死から立ち直ることもできず、父の行為が逆鱗触れ、悲しみと怒りを行き来する私に祖母がそっと囁いた。「もうよかよ。」私は初孫だったし、長男の子供だったので、母に育てられたけれど戸籍上は父方の人間だった。つまり私はもう男の子が生まれたので不要になったよ。自由にしてね。ということだった。悲しみと怒りのミルフィーユって感じ。

四十九日の法要を終え、私は母に迎えに来てもらい、そのまま家庭裁判所まで送ってもらった。その後何件か役所を回りさっさと母の戸籍に入る手続きを済ませた。勝手に変えたので、その後生命保険の受取人の名義変更やらなんやらで散々私は怒られたが、私は何も悪いことしてないと思ってる。

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