見出し画像

口唇口蓋裂育児日記 “口唇口蓋裂だとわかった日のこと”

病院で診察を受けた

息子が口唇裂だとわかったのは生まれる2ヶ月ほど前のことでした。
妻は妊娠中、時折エコーで胎児の状態を診察しており、
4Dエコーを実施したところ、唇の部分に明確な影が確認でき、
9割方口唇裂だろうと診察を受けました。

私はそのことを妻から電話で聞きました。
妻は里帰り出産をしたのでその頃は離れて暮らしており、
昼に病院に行って診察を受け、夜電話で話しました。

口唇裂は一つの個性

私はそれを聞いた時、正直な話、何も思いませんでした。
無論、少し驚きはしましたが、そのことについてポジティブでもネガティブでもない、
という意味で、何も思わなかったのです。
なぜなら口唇裂であることは、悲しむべきことでも深刻になることでもなく、
それは「背が高い」「肌が白い」などと同じように、単なる個性だと思ったからです。

口唇口蓋裂自体は知っていました。妊娠が安定期を超えた際、
胎児のリスクや考えられる障害などについて一通り調べており、
その中の一つとして調べ記憶していたからです。
なので手術や、長期にわたる治療が必要なことや、
見た目などで悩む可能性があることも知っていました。

ただそれを踏まえた上でも、なお口唇口蓋裂は「単なる個性だ」と思います。
もちろん、手術や治療は楽ではありません。
現に、この7ヶ月間は夫婦で悩んだり、毎日苦労したり、大変なこともたくさんありました。
それに見た目のことは親の育児というより、本人の気持ちの話でもあるので、
先々不安がないと言えば嘘になります。

しかし、それはどんなことでも同じだと思うのです。
人より背が低ければ、それはそれで悩むこともあります。
たとえ障害がなくとも、見た目でいじられることや、心無い言葉を受けることもあります。
仮に眉目秀麗であっても、悩みがない人などいないでしょう。

「口唇裂は歯科矯正と同じようなもの。
歯並びが悪く生まれたら矯正で治す。それは一般的なこと。
思春期の時はそれで親を恨むこともあるかもだけど、大した話じゃない。
口唇裂も手術で治す。
これら2つは構造的には同じこと。
なのに、歯科矯正については肯定的に捉え、口唇裂については悲観的に捉える。
これはおかしいことじゃないか?
だから私はなんとも思わない。
現実を受け入れ、最適な対処ができる努力をしよう」

妻からの電話に、私はこう答えました。
その時電話の向こうで、妻は泣いていました。
後から聞いたところ、私の言葉を聞いて心から安心したそうです。
4D画像をみて診察を受けた時、妻はとてもとても心配で不安になりました。

「子どもは大丈夫なんだろうか」
「夫や家族にどう思われるだろうか」
「妊娠中の生活がいけなかったんだろうか」
「私のせいなんだろうか」

病院からの帰り道は、そんな気持ちでいっぱいだったようです。
私との電話で救われた気分になったと、
笑いながら話してくれた時は、私も安心したことを覚えています。

物事は解釈しだい

人生における悲喜交々は、「解釈」の問題だと思います。
口唇裂がある。背が低い。肌が白い。
稼ぎが少ない。家族と仲が悪い。恋人と別れた。仕事がうまくいかない。
それらは、それ単体で見たら単なる「事象」。
できごとに過ぎません。
それに対し私たちは「深刻」「大問題」「大変」「簡単」などの評価をし、
それが「ポジティブ」「ネガティブ」などの感情の発生につながっています。
ならば、その評価基準を変えてあげることが大事だと思うのです。
そのためには、できごとへの自己解釈を問い直す必要があります。
それをして初めて、世間の常識やよく耳にする意見からの影響ではない
自分の尺度、解釈が生まれ、
直面する様々な「できごと」に対しニュートラルに、
そして真剣に、向き合えることができる思います。

「人間万事、塞翁が馬」

古人はそれを、感覚的に知っていたのかも知れません。

今日の記事はここまでにします。
最後はなんだか哲学的な話になりましたが、子を持つ親として、
皆さんも同じようなことを思うことも多いのではないでしょうか。
口唇口蓋裂も一つの個性と思えること。
そして今後、もし心無い人の言動にあっても受け流せる態度と、
自分を受容できる心を、子どもと自分と共々、育てていきたいと思います


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?