ネットに何かを残す事について、「お金」を考えるようになってしまった昨今

ネットに何かを残す事について、「お金」を考えるようになってしまった昨今
クソだと思います。

本当に。

昔、mixiやFC2でクソブログを書いていた頃は、こんなこと気にしたこともなかったのに
Likeがもらえるかどうかでテーマを考えたりしなければいけないという風潮をひしひしと感じる。

駄文を書き散らかしている自分が、バカな人間に思えてくる。
これは僕にとってはストレス発散で、それ以上でもそれ以下でもないんだけど
「お前の文章は評価されていないで」と突きつけられるいらぬ圧を受ける。

サービス側としては、余計なクソ文章垂れ流すやつを排除したいのかもしれないが。
金にならんしね。

先日、加藤諦三先生が「儲かるでやるな、好きでやれ」って話をしているYoutubeを見た。

儲かるという事を目的にすると際限がなく、終わりがない。
好きでやるという事は、その行為そのものが幸せである。

https://www.youtube.com/watch?v=s8Kxl0EvA0Y

https://www.youtube.com/watch?v=s8Kxl0EvA0Y

とかそんな話をしていた。

僕は、素人Podcastを聞いている、最近はプロが参入しまくってきて、放送数そのものが凄く減っている気がするけど
今も定期聞いているのは、鯖ラジオ。他の番組もたまに聞いている。

「儲からない」といってYoutubeに移った人たちは聞かなくなった。音声だけではなくなってだるくなったからであって嫌いなわけではないんだけど、面倒になったから聞かなくなった。

しかし、「儲からないのにずっと続けてるのってすごいよな」と僕も思っていた。
僕は20代中頃に漫画描きとして自営業者になった。
割とお金の問題は大変で、お金の勉強をしたり、儲かる儲からないもそれなりに考えてきた。
自分の生き残り方等々、よく考えた。
でも、結局最後に残るのは「好きなものを描かないとやってられない」だと思う。

もちろん、売れるために一時的に頑張ってから、シフトするなんて考え方もあると思う。
でも、一度刺激された欲を捨てて儲からない道に行くのもまたムズカシイ事だと思う。
人は所詮比較する生き物で、
それは、過去の自分に対してもそうだからだ。

稼げなくても楽しいと思える日々を送る。

そういう事をやってた時代に戻りたいと思う。
今はなんか、僕にはすごく行きづらい。

これをわざわざNoteで書いたのは、noteがそういう匂いをすごく感じるプラットフォームだからだ。
有料記事、AIサムネ画像、釣りタイトル。
自分が儲かるかどうかを考えている人が多い。
それはそれ自体は悪いことではない
けど
僕は楽しくないと感じる。
なんというか、感覚が合わないだけ。
嫌儲というわけでもないし、僕はお金は好きなんだけど
なんというかココ数年、「ネットってこうだっけ」というのがずっとある。
現実とネットがリンクしてしまって
逃げ場だったころのネットは本当に死んでしまったのだと感じる。

でも、それは社会の相違であって、僕が遅れているだけなのも承知だ。
だからこそ、その実感があるからこそ、気持ちの悪い感覚に襲われているのだろうけど。

誰にも読まれなくて良いから、遠慮しなくていいから、書く。
そういう事が出来ていた頃にはもう戻れないのだと思う。
自分が自営業として生きていく事を決めたこと、ネットが広まったこと、プラットフォームの収益性、依存や中毒性、等々
色んな理由があるが
もう戻れないものを悔いても仕方がない。

だから、プラットフォームにとってクソでしかない儲からない駄文を書く事をお許しいただけなくとも、俺は書く事にする。
自分にとって経済合理性的には時間の無駄だと感じたとしても、書く事にする。
お金を残しても、その人間が生きた証にはならない。
無論ネットの文章も多くの場合そうはならない。
でも、お金を求めて作ったコンテンツよりかは幾分、マシななにかな気がする。
これは僕の腐った哲学であって、世間はこうあるべきだと言っているのではない。
ただ、昨今感じる虚無感から逃れたくて発しているだけの自己欺瞞としての悪態なのかもしれない。


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