「トーキョー王」バックステージ#0


●10/24
・あまりに細切れでうっとうしいみたいなのでリニアテキストで作ってみた。
・読みやすいとは思うのだけどフツーだ。あまりにもフツーだ。
・Plagのようにフォールディングカード芸も使えないし。
・いやむしろここはnoteプラットフォームを駆使して、「トーキョー王」マガジンの中にばらばらのノートがあるようにしたほうがよかったか。
・プラットフォームにはプラットフォームなりの表現を。
・そして表現はいまや「物語の中身」ではなく構造を含めた「物語体験」として設計されるべきだ。
・それが小説を読みゲームしてビジュアルノベルを経験した私たちが行うべきことだ。と思う。
・なんだったら誰かのツイートやFacebookページと連携したり、初台ICCのインスタレーションを組み込んだってかまやしないのだ。

・ただし今回のストーリーの規模や日常感は、Plag**で断片的に提示するべきものではなかったようだ。
・もっと「大状況」の断片であるそこそこ完結性をもったストーリーであれば、ばらばらに届くシリーズ物、として受容されたのではないかと思う。
・とはいえ今回は初回の実験で、あまり大風呂敷にもしたくはなかった。
・「トーキョー王」本編であればコウと、千代田区丸の内にお住まいの有名なご家族と、北の国の将軍と、紅い旗の青年団と、バージニア州の分析官と、スーの実家と、《賢人協会》と、ビリニュスの開発者と…ってできたろうけど。
・さすがに最初からそんな大風呂敷&複雑系を導入するのもね。
・フラグ管理もたいへんだし。


・さて作中で描かれたことどもを少し。
・ミノルが示した「彼女が気づくように」もたもたするとか、姿勢やジャケットの扱いでオバサンをブロックするとかは、私たちも日常的に実施することができる。
・ほんのちょっとした作為を忍び込ませることによって、誰が自分の後にその座席に座るかコントロール可能な状況を作れる。
・そのときどきの偶然に《介入》できる。
・コウがやっているのはそれがもうちょっと超自然的になった《蓋然性のゆらぎ》で、自分の望む方向にちょっとだけ偶然が重なりやすくなる、というもの。
・だからミノルが「ふと」レナに気づいたのも、席をゆずってあげる気になったのも、そうした偶然。
・もたもたしたのはミノルの意思かもしれないが、その意思を行使する気になったのは偶然かもしれない。コウのせいかもしれないし、そうではないかもしれない。
・ただしコウが《蓋然性のゆらぎ》を行使して《介入》を行った結果、ミノルはひと駅前で下車する気を起こしたし、「偶然」レナの実家の居酒屋に入るし、そもそもそれはバイト学生シンイチくんの就活がうまくいって「しまった」からだし…あれ、でもシンイチくんの最終面接が決まったのはもっと前のはずじゃ…?
・コウの《介入》は時間的に遡及できるのか?
・どこからどこまでコウの仕業か、コウにもわかっていないということにしておこう。
・ちなみにほろ酔いかげんのミノルさんが出会った「道に迷っているスーツ姿の中国人女性」は「もちろん」スー。
・スーはコウの《介入》がもたらしたバタフライ効果によってミノルの命に危険が及んでいることを察知し、ミノルにわざと要領をえない態度をとって引き止めることで、彼が事故に遭うバスに乗らないようにした
・他の乗客のことはどうでもいいのかい、と云われそうだが、そこは彼女なりの過剰に振る舞わないだかなんだか、そういう倫理観みたいなものがあるのだろう。
・なんぼなんでも世界のみんなは救えないわけだし。
・それでスーは寝不足のために化粧ノリがわるい肌への苛立ちもあって翌朝コウの顔を見るなり蹴っ飛ばしてしまうのだがそれはまたべつの話。


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