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世界遺産を歩く!

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NOTEを始めてから訪れた世界遺産の記事をまとめてみました。余裕が出てきたら過去に行った世界遺産もまとめたいと思っています。
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#イタリア旅行記

とにかく壮観!世界遺産、南イタリア・マテラの洞窟居住区

前回は南イタリア有数の軍・商業港タラントでした。 そもそもタラントに寄った理由はマテーラに行くのに便が良いから。この地方の観光地といえばアルベルベッロもありますが、かなり観光客が多そうなのと、イタリア滞在が予定より長くなってしまったため時間の関係で断念しました。 マテーラまではバルセロナでもおなじみの格安バスFLIXBUSを利用しました。これがレッグルームが広く快適で、バルセロナでも利用したい!と思うくらい。 個人的には電車の旅が好きですが、南イタリアは電車の便が良くな

町中がバロック建築!世界遺産のシチリア島ノート

今回はシチリア島のシラクーサからバロック建築の建物群で知られているノート(Noto)へ向かいます。 ノートの歴史ノートは1693年の大地震によって多くの建物が崩壊。その後数十年に渡っての復興事業によって、以前あった町から離れた場所に再建され、後期バロック様式の町として生まれ変わりました。他にもカターニアを含む7つの町で多くの後期バロック様式の建物が建設され、ノートと共に世界遺産に登録されています。 カターニアなどは町の限定されたエリアだけが登録されていますが、ノートは旧市

シチリア島で一番歴史のある世界遺産のシラクーサ

シチリア島第二の都市カターニアから電車でシラクーサへ。シチリア島でパレルモやタオルミーナに続いて観光客の数が多い一大観光地だそう。 歴史あるシラクーサシラクーサは古代ギリシャの植民都市だった時代に海洋貿易の重要拠点として繁栄した町。ギリシア本国のアテネを凌ぐ大都市となっただけでなく、古代ギリシアで最も美しい都市と称えられたそうです。それからローマ、アラブ、スペインなどの占領を経て、シチリア島で一番歴史のある町として知られています。 地図を見るとわかりますが、旧市街はシチリ

2つの顔を持つシチリア島第二の都市カターニア

シチリア島の北にあるチェファルから電車で内陸を通り、シチリア島第二の都市カターニアへ。 電車がカターニアに近づいて来るとエトナ山が。雲がかかって見えにくいですが、このときまだ天辺に一部雪が被っていました。このエトナ山、数日前に噴火をしたらしくカターニアの街は灰にが降ったとか。 カターニアに到着して鉄道駅から宿泊先へと歩いていくと、何だか廃れた雰囲気。街の中心に行くまでも通りにはゴミが舞い、人通りは少なく、「なんか凄いところに来てしまった」感が。 ところが中心に辿り着くと

エキゾチックな世界遺産、パレルモのアラブ・ノルマン様式の建造物群

世界遺産に登録されているパレルモのアラブ・ノルマン様式建造物群。 イスラム建築と西洋のビザンチン建築が融合した建築物群で、古くは12世紀のノルマン人によるシチリア王国に遡るそうです。パレルモはシチリア王国の首都で、歴史地区にある2つの宮殿、3つの教会、1つの大聖堂、1つの橋が世界遺産に登録されています。 これらの建物は建築の融合だけでなく、異なった民族の社会的・文化的融合や共存を表してもいるということで重要なのだとか。 スペインはアラブに支配されていた地域も多く、アルハ

世界遺産のアマルフィ海岸〜観光客で大賑わいのアマルフィの町

前回はアマルフィ海岸周遊の計画とアマルフィ海岸のポジターノについてお伝えしました。 今回は、ポジターノからアマルフィの町に行きサレルノを経由してナポリに帰ってくる後半をお伝えします。 ポジターノからアマルフィまでポジターノに2時間位滞在して、次はまたバスを利用してアマルフィの町に向かいます。バスは遅れるのを前提として、時刻表を確認せずに観光が終わってすぐに直行しました。 10分ちょっとほど待って到着。混んでいましたが、殆ど誰も降りずにバス停で待っていた5〜6人全員が乗れ

世界遺産のアマルフィ海岸〜絶景で有名なポジターノへ

アマルフィ海岸といえば、日本人なら誰でもその名前は聞いたことはあるのでは? 私も名前は知っていて景色の写真を見たことはあるものの同じイタリアのチンクエ・テッレとごっちゃになっていたり、入り組んだ入江に建物がまるで這いつくばるように並んでいる以外に具体的に何があるか知りませんでした。 アマルフィ海岸を巡る計画どの交通手段でもチャレンジが… アマルフィ海岸への行き方や見どころを調べてみると、4月から混み始め、オーバーツーリズムの波で繁忙期はバスはすぐ満員になるため何時間も待

世界遺産のポンペイ遺跡はやっぱりすごかった

古代遺跡は有名どころは一応行くようにはしていますが、正直、古代史にはそれほど興味がないため「感動した!」というところは2〜3箇所くらい。柱だけとか土台だけだと、当時のイメージが沸きません。 ただポンペイ遺跡は、是非行くべきと聞いていたので、機会があれば行ってみたいと思っていました。 そして今回やっとその機会が到来しました。 ポンペイ遺跡とは? ポンペイは、紀元79年のヴェスヴィオ火山の噴火によって消滅。消滅当時、65ヘクタールほどの大きさの町で人口は1万1千人ほどだった

古代の高級ビーチリゾート、世界遺産エルコラーノ遺跡

バルセロナからフェリーを乗り継いで到着したナポリ。前回はナポリ旧市街のクリスマス通りについて。 今回はナポリ中央駅直結のガリバルディ駅から電車で20分弱のところにあるエルコラーノ遺跡。 エルコラーノ遺跡とはエルコラーノ遺跡の場所にはかつてヘルクラネウム(Herculaneum )という町があり、ポンペイと同じ紀元79年のヴェスヴィオ火山の噴火によって消滅したそうです。18世紀に発見され、現在ポンペイ遺跡とともに世界遺産に登録されています。 灰で多くのものが燃えたポンペイ