ハックル メルマガ 競争考:その26「ゆとり世代に迫るタイムリミット」 感想


 ジェネレーションによる、「格差」だ。ジェネレーションは変えることが出来ない。だから、すべて「自己責任」ということはできない。一番悲しいことは、使えないと言わることもある「バブル世代」と違い、青春時代にも「ゆとり世代」となじられ、暗黒の「失われた20年」を過ごし、分配をおこなわなかった「実感なき成長」で資本主義の厳しさを実感させた。世代だ。それで、こういう扱いを受けてしまう。厳しい世の中になったと思う。こういう時代性だからこそ、植木等や渥美清のような――それと同じような芸風の人間が前面に立っていて欲しい、と感じる。規律功利主義に染まってしまった現在では厳しいかもしれないが。

 

 ハックル(岩崎夏海)の主張は正しいと思う。青春時代にインターネットの恩恵をうけられたと言われる世代でもあるが、それは後ろの世代もおなじである。前回のメルマガの感想と同じような感想を述べることにする。

 

 「ゆとり世代」という教育基準なり、教育を施すことを決めたのは他ならない上の世代で、彼らに責任はない。だが、「自己責任論」によって自己責任にされてしまうのが、実情だ。バブルといい、ゆとり教育といい、私の世代から見ると、上の世代は世の中をやりたいほうだいめちゃくちゃにして、年金も年齢的に生活保護も優先的にもらえて、恵まれて死んでいく。羨ましく、だからこそ憎い世代だ。

 

では。

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