毒親から育てられた人が立ち直れない理由 その一
勝間和代サポートメール14/11/15 その問題、経済学で解決できます 六日目
「あなたはこれまで、悪行や善行まで、結局は自分がどうそのうれしさ、効用を感じるかということで左右されており、その理由(例えば、本当は美人だから寄付したのに、自分が善人だから寄付をしたと思っている)については、後付けだということを認められてきましたか」
善行/悪行は、自分自身の効用によって感じることができる。その行為というのは、後付で構わない。理解しました。
「黒子のバスケ」脅迫事件 最終意見陳述1
「黒子のバスケ」脅迫事件 被告人の最終意見陳述全文公開(篠田博之) - 個人 - Yahoo!ニュース
http://bylines.news.yahoo.co.jp/shinodahiroyuki/20140718-00037501/
ここから、一つ引用したいと思います
――人間がなぜ自分の存在を認識できるのかというと、他者が存在するからです。自分の存在を疑わないのは他者とのつながりの中で自分が規定されているからです。家庭では父として、夫として、息子として、兄として、弟として。親族の集まりでは祖父として、孫として、叔父として、甥として、従兄弟として。学校では生徒として、同級生として、部活の部員として。勤務先では上司として、同僚として、部下として。地域ではその地域の住民として。その規定のパターンは無限です。――
規律功利主義化した日本において、「社会的存在」として「安心」を勝ち得なかった人は、孤立する――歪んだ存在者として。その人たちは、会社の面接すら受かることが厳しく、どんなコミュニティに所属しても、彼・彼女ら自身の歪みによって、「安心」を勝ち得なくなってしまう。
「普通の人達」は、規律・規範から若干外の存在である、彼・彼女らを歪んだ存在者としてみなすので、規律功利主義化した日本において、コミュニティにおいて「いじめ」や「村八分」などを行ってもいいというコンセンサスを得る。それも、排外的な効用となり得るのではないかと、考えています。規律・規範そして、秩序を乱す存在を排除するのが当然なので、そこに違和感を感じない。とも、考えています。
優生学と同じく、「都合が悪い」ので、この視点から語られないことがあまりないですが、かつて、「ホロコースト」というのがありました。ドイツ国内で、もちろん反発者もいたでしょうが、「排外的」であることにコンセンサスを得られたといえるのではないでしょうか。規律功利主義者にとっての効用となり得ていたと、考えています。そして、敗戦後は、「ナチスの言うとおりにしていた」と答えればいいのです。
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