天才たちに圧倒されて自分の存在価値の低さに落ち込む

 放置されたドレッシングみたいに、分離された上部でどろっと語り合う政治家たちがまざりあえない人達のストレス発散の対象にちょうどいい感じになっている裏で、(そういう意味ではバランスは変わっていないのかな)天才たちがCPUフル稼働で語り合っている。

 天才はすごい。私がコンビニでシュークリームかゼリーかを悩んでいる間に本を何冊か読み、誰かと繋がり、新しいアイデアを生み出している。
 最近は、落合陽一さんとか安宅 和人さんとかのお話を見聞きして、すごいなぁ、とおもいながらピノをかじり、興奮するのだけれど、その後の空虚感がすごい。二日酔いの朝みたいだ。
 私は記憶力が悪いのでよく覚えていないのだけれど、人に似せた人形を追求して作っていくと、完成の一歩手前で突如恐ろしく見えるようになってしまう、超えられない谷が現れるという。今ググった。不気味の谷だ。
 そう、天才に触れた後の挫折感は、例えるなら、不気味の谷をチラ見して引き返した気分なのだ。その不気味の谷に近づいた時に、不気味になる勇気がないと言って引き返す。でも本当は、勇気がないなんて嘘だ。谷を超える実力がないのがわかるから、不気味になれないって嘘をつくんだ。

 と、落ち込む。

そこを超えていく天才達は「何言ってんの?そんなことどうでもいいじゃん、それよりさ・・・。」と言って進んでいるのを知っている。だからこそそこの谷を超える脚力のない自分を再確認して落ち込んでしまう。
 じゃあ近づかなきゃいいのにと友達はいう。それでも生きていけるし、幸せはそこかしこにあるわと。彼女が摘んだ花は綺麗だ。否定する余地は全くない。どうかそのままで幸せになってほしいと思う。心から。
 でも結局知性に近づきたい欲求は止められず、近づけば挫折して、曇り空の東京にボワっとひかるネオンをじっとみて、寒くて部屋に戻る。今日も。

コロナは日々のフィジカルな雑音を消して、メンタルの雑音を増幅する。
この試される世界で自分はどこに向かえばいいのだ。

と思ったりしている。答えはまだない。

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