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負け犬の遠吠えアーカイブ 満州事変

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満州事変についてまとめています。教科書にうんざりしたら読んでみてください。
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記事一覧

負け犬の遠吠え 満州事変9 傀儡国家?だからどうした!

「満州国」と聞くと、「侵略」とか「戦争」などの単語を連想し、あまりいいイメージを持たない…

Underdog
3年前
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負け犬の遠吠え 満州事変8 世界は満州事変をどう見たのか

国際間の話し合いや条約では、戦争を防ぐことはできません。 その前例として「不戦条約」が挙…

Underdog
3年前
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負け犬の遠吠え 満州事変7 喧嘩してはいけない場所がある

1932年3月、関東軍主導によって満州地方は独立宣言を果たし、満州国が建国されました。 …

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3年前
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負け犬の遠吠え 満州事変6 いい国作ろう満州事変

1931年9月18日午後10時ごろ、満州の都市・奉天近郊の「柳条湖」付近にて、何者かによ…

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3年前
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負け犬の遠吠え 満州事変5 関東軍の決断

1927年、北伐を進める蒋介石の国民革命軍は上海、南京を占領しましたが、南京に入場した国…

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3年前
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負け犬の遠吠え 満州事変4 張作霖よ何処へゆく

張作霖は遼東半島の海城市の貧しい家に生まれますが、14歳の時に実父を亡くしてからは継父と…

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3年前
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負け犬の遠吠え 満州事変3 中華民国という名の「まぼろし」

1914年、孫文は袁世凱の軍事力の前に歯が立たず、日本へ亡命しました。 抵抗勢力を蹴散らした「袁世凱」が大統領に就任し、「辛亥革命」は結局「清」の代わりに袁世凱の独裁政権が誕生しただけ、という結果に終わってしまったのです。 袁世凱は「中華民国をまとめ上げるには強権を振るうことが必要」と考えていたようですが、当時の国内世論は「議院内閣制」のような分権制を支持していました。 そして1915年、日本からの「21ヶ条の要求」を受け入れると、この姿勢は「弱腰」と受け止められ、袁世

負け犬の遠吠え 満州事変2 戦艦大和はなぜ大きいのか

 世界地図をぼんやりとイメージしてみます。 アメリカ大陸は南北に長く伸びています。 そし…

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3年前
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負け犬の遠吠え 満州事変1 コミンテルンの結成、関東大震災

第一次世界大戦中に起こったロシア革命によって、共産主義国家「ロシア・ソヴィエト共和国」が…

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3年前
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