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祖父が歩いた支那事変

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私の祖父、N田健吉が書いた支那事変従軍記を、私の言葉で書き直したものです。
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#日本史

祖父が歩いた支那事変 〜帰還、第二の人生〜

負傷した祖父は後方へ移送される事になりましたが、その時祖父は信じられない光景を目の当たり…

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祖父が歩いた支那事変〜大激戦〜

祖父は原隊と合流すべく歩き続けました。 もう半分は来たかと言う頃、 「コラッ」 と祖父を大…

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祖父が歩いた支那事変〜負傷〜

六月、人員の補充、体力の回復も叶ったところで、敵の包囲網を突破する事になりました。 敵軍…

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祖父が歩いた支那事変〜行軍〜

蕪湖を発った祖父は、小さい汽船に乗って揚子江の対岸に渡りました。 そして和県、含山城、巣…

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祖父が歩いた支那事変 〜戦場へ〜

人員の増強、弾薬、食料の補給も十分で体力も充実した9月、祖父たちの隊はいよいよ天津を出発…

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祖父が歩いた支那事変 〜大陸へ〜

熊本駅から列車で小倉まで来た後は、出征兵士は船に乗って移動し釜山に到着、民宿で一泊するこ…

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3年前
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祖父が歩いた支那事変〜出征〜

〜はじめに〜 私の祖父「N田健吉」は、私が物心がつく頃には既にパーキンソン病に侵されていて歩くのもおぼつかず、表情も乏しく、ボソボソとした喋り方であまり言葉も聞き取れない状態でありました。 それでも私が幼稚園の頃には、祖父の家に遊びに行って囲碁をしたり、日本刀(模造刀?)を見せてもらったり、ほとんど覚えていないけど戦争の話などを聞かせてくれました。 しかし私が中学に上がる頃には病状も進行し完全に寝たきりになり、私はそんな祖父に対してどう接していいのかわからず、時々お見舞い