北海学園文学会ウェブエッセイ㉘「ウォシュレット体験記」

日本に存在するトイレといえば、大体の場所についているウォシュレット。便座を温めてくれたり、水で洗浄してくれたりと色々便利なすぐれものである。これがないと生きてはいけないという人も多いかもしれない。

かくいう私は、そのウォシュレットのおしり洗浄機能というものを人生で1度も経験したことがない。そもそも必要がないからという理由ではない。家のトイレにウォシュレットという高尚なものが設置されていないのである。あの便座を温めてくれる神機能が私の家のトイレにはついていないのである。未だに便座カバーを使用している家はあまりないだろう。
というわけで冬の寒い中、クソ冷たい便座に座っている私にとって、ウォシュレットの洗浄機能というものを使おうと考えるようなことは微塵も存在しないのである。
そんな私が何故かウォシュレットの洗浄機能を使うことになったのである。それは旅行中のホテルでのことだった。

それは東京のホテル内で発生した。そのホテルでは、ウォシュレットの操作盤が丁度右腕が当たる可能性のある場所に設置されていた。これが不幸?の原因となる。
用を足し終えたあとに腕が操作盤にあたってしまった。そこで押したボタンは洗浄機能の起動ボタンであったのだ。
自分では起動したことに気が付かなかった。そのためノズルから水が噴射し、洗浄を始めたことで意識化にも上がっていなかったその存在を認知することとなった。
想定もしない状況であったものの、初体験した洗浄機能は、悪いものではなかったと記憶している。

しかし事件?はその数秒後に訪れる。水の止め方がわからないのである。なにせ初体験。何もわからない状態でトイレに腰掛けている。これは完全なイメージであるのだが、このの洗浄機能は時間経過で止まるものだと考えていた。しかし止まらない。止まる気配すらない。ここから洗浄機能は味方から敵へと豹変してしまったのである。

さてこの状況で初めに考えたことは、センサーか何かがついており、立ち上がったら止まるのではないかと考えた。しかし、これにはリスクが有る。それは止まらなかった場合である。もし水の勢いが思ったよりも強く、便座から水がはみ出てしまったらどうなるだろうか。洗浄の水で床が水浸しになってしまうのである。立ち上がった後に解決策が見つかれば良いが、もし解決策が見つからなかった場合はもっと大変なことになってしまう。トイレ、洗面台、シャワーが使えなくなるだけでなく、下手したらホテルの部屋全体も水浸しになってしまい、経済的な面でも大打撃を受けてしまう。それだけは避けなければならない。
こう考えている間も水は出続けてしまっている。それすなわちトイレの中に貯まる水の水位も増加してしまっていることを意味している。これ以降のことは言わなくてもわかるだろう。地獄である。
次に考えたことはホテルのフロントに電話することである。しかしフロントにつながる電話はトイレから立ち上がらないと受話器を手に取ることすらできない。つまりフロントに電話することは不可能なのである。これは却下だ。
友人に聞くことも考えた。しかし連絡方法はLINEしか無い。これだといつ気がついてくれるかもわからず、最悪な状態が発生してしまうかもしれない。それは避けなければならない。また、これを実行してしまうと私は友人にウォシュレットを使うことのできない近代文明とは程遠い人間であると認識されてしまう。それはメンタル的に来るものがある。楽しい旅行が台無しとなってしまうではないか。
手にはスマートフォンという文明の利器を握っていた。それを使うという発想にたどり着くことがなかったのである。

一度落ち着き、あたりを見渡すと、操作盤が目に入った。そこには停止というボタンがでかでかと表示されていたのである。とりあえずそのボタンを押してみた。なんてことなくすんなりと水は停止した。この旅行の中での一大事件はあっけなく終了したのである、こうして私の名誉と財布の無事は保たれることとなった。

こうして壮絶なウォシュレット初体験は幕を閉じたのであった。


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