感想文『宇宙よりも遠い場所』

赤道を抜け、嵐を抜け、氷を割り、
日本から14000km、宇宙よりも遥かに遠い、
その場所へ。

4人の少女が南極を目指す青春グラフィティ。

それを観て号泣したおっさんの書く感想です。


『宇宙(そら)よりも遠い場所』(以下、『よりもい』という。)は、2018年の1〜3月にテレビ放送されたアニメ(公式サイト http://yorimoi.com/)。
放送当時からかなりの人気を博しており、海外でも評価されたとか。とは言え、「アニメ観ない層」まで届いたというわけでもないので、まぁほとんどの人は知らないかと。

僕自身はそんなにアニメ観る人ではない。でも会社の同僚にアニメ好きが複数いるのと、ツイッター界隈をうろうろしてると何かと情報は入ってくるもので、『よりもい』というアニメがやっていること、めっちゃ面白いということは聞いていた。しかも「南極」というサイエンスの匂いのするテーマも気になって、余裕あるときに観ようってずっと思ってた。

それでようやく観たのが先の三連休。

以来、ロス症状が酷く日常生活に支障をきたしている。いちおう身体は会社に行ってはいるが、心はもはや南極に飛んでいる。このままでは自家中毒おこして軽く死ねるので、自分の心身の健康のために吐き出すべくこれを書きつけてる。

以下、「おすすめ」として、これ読んで観る気になってくれたらいいなぁというつもりではある。多少のネタバレがあるかもしれないが、あまり気にしなくても良いと思う。真犯人とかトリックとか、誰と誰がくっつくかとかも何も心配する必要がない、ど直球青春物語だ。


全13話、毎回泣いた。

「女子高生が主役の青春アニメに涙する中年男性」という字面は一定のキモさを免れない感があるが、うるせぇ!バーカ!としか申し上げようがない。まぁ実際のところおっさんに限らず多くの人が号泣したとの感想を寄せており、心強い限りだ。

制作側がかなりあざとく人を泣かせにかかってるというのは大いにある。物語、言葉、絵、音その他アニメが使えるあらゆる要素でもって涙腺は完全に包囲される。
ただ、そのあざとさは例えば心地よさにこだわって作られたお布団であり、身を任せたくなる厚みと安心感があって、疲れた心身はその強い中毒性に抗えない。

なお、先程「全13話毎回泣いた」と書いたが、正確には第1話、第2話は初見では泣いてない。でも全話観てからの2周目では第1話から泣いた。よくある「伏線に気づいて」とかいうわけではなく(この作品には「それがあってはじめて全容が明らかになる」という意味での伏線は無い)、登場人物それぞれの想いや背景を知ったうえで観たとき、「君たちは大丈夫だよ!」というエールが溢れ出すのだ。まさに『The Girls Are Alright!』なんだ。


この作品の素晴らしさは、もちろん物語、脚本、演出、芝居なんだけれど、何より、そこに産まれたキャラクターが「生きている」ことだと思う。矛盾するような性格が共存したり、必ずしも筋が通っていないといった人間の複雑さを否定しない。早い話が、無理に言わせている言葉が無い。クサい台詞もあるにはあるが、キャラクターはそれを言うだけの背景を生きている。

主人公キマリ(玉木マリ)は好奇心旺盛だが自己肯定感低めかつ依存体質の楽天家で、激しい喜怒哀楽により物語を転がし、本能的にその進むべき道を指し示す天性のコンパサー。座右の銘は「プリンは飲み物」。

物語はキマリが高校入学時に立てた(にも関わらず2年生になっても全く進捗していない)
「青春、する。」
という安直な目標に向けて一歩を踏み出すことから始まる。

そこにタイミング良く現れるのが、南極への執念(怨念)と現金を持ち、思い込みの強さとしつこさで物語を動かすポンコツ美人、しらせ(小淵沢報瀬)。言うても結局のところ彼女の突破力に尽きる。連れてきてくれてありがとう。

キマリの言い出した「青春」を縦糸に、しらせの持ってきた「南極」の横糸を通し、物語が織られ始めるのが第1話。

以降、とりあえず1話ずつ仲間が増えていく展開なわけだが、第2話で登場するのが、明るく元気が取り柄で言葉巧みに人の心に取り入る常識人、ひなた(三宅日向)。天真爛漫に周りを照らすが、それが逆に自身の陰を濃くし、物語に奥行きを与える。ふざけんな。

そして第3話では、フォローバックが止まらない女子高生タレント、ゆづき(白石結月)が加わる。キマリたちより1つ下の妹分として存分にいじられ可愛がられながらも、俯瞰的にしてややズレた視座と拗らせた疑り深さで物語にくさびを打ち込む。殺意です。

こうして4人が揃うことで、「青春」の縦糸は「友情」によって彩られることになる。なんとまぁ、伝家の宝刀「青春群像劇」で真正面から袈裟に切り下げるような作品だ。

個人的な好きポイントは、お互いの呼び方。キマリは全員を「ちゃん」付けで呼び、ゆづきは年下なので一応みんな「さん」付けにしている。しらせとひなたは基本的に相手を「呼び捨て」にするが、ゆづきに対してだけ、しらせは「ゆづきちゃん」、ひなたは「ゆづ」と呼ぶ。

結果的に「呼び捨てにし合う」のはしらせとひなたの組み合わせだけ。で、そういうキャラクター同士、この2人の関係は作品全体を通じてかなりしっかりと、「友情」というテーマにおいてはおそらくもっとも丁寧に描かれることになり、それがまた素晴らしくて。いいじゃないですか!友情じゃないですか!


しかし、「友情」を描くだけなら別に行き先が南極じゃなくても良さそうなものだ。

もちろん、『よりもい』において南極は、ただの飾りではない。「南極」という横糸は「南極観測隊員だったしらせの母親が3年前の派遣で遭難し行方不明になった」という、極太に紡がれ重たく染められた糸でできている。

しらせは「母を見つけに行く」という怨念とともに旅をすることになり、その結末がこのアニメのクライマックスにもなる。その描き方が、言い方アレだけど、相当にエグい。第12話で涙腺は内側から崩壊する。涙腺に指令を出す神経を直接破壊されるので、自分がなんで泣いているのかもわからないし、困ったことに日常のふとした瞬間に第12話を思い出して涙が出てくる有様だ。おっさんが仕事中に急に泣き出すとか、側からみたら病院行きだよ。

いや、物語は良い方向に向かうのでご心配なく。僕の社会生活を身代わりにする形でしらせの怨念も成仏して、ハッピーな結末を迎えるはずである。


もう一つ、この物語に深みを持たせているものに、「大人」がある。

ことあるごとに、「高校生」と「大人」は対比される。高校生には無理、大人だね、高校生も大人として扱う、大人にああ言われたら、などなど。作品を通してあくまでも4人の女子高生の視点だけど、青春を追う高校生と、現実と闘う大人たちの意思の交差が模様として浮き上がる。

この物語における大人の苦労というのは相当なものだろうと思う。
観測隊に女子高生を同行させるということのコスト、リスクが如何ほどかわからないが、考えるだけでも不安しかない。また家族にも相応の負担を強いているはずだ。それでも応援し、笑顔で送り出す大人たちがいて、旅先でも彼女たちを守る大人がいるということが嬉しい。

一方で、大人は大人で青春してみたり、大人が女子高生たちに背中を押される瞬間もあり、そういうバランス感覚も安心感がある。

悪い大人が出てこないんですよね。いるんでしょうけど、4人の少女たちからは見えないところで、良い大人たちによって退けられている。それがこのアニメのもっともファンタジーな部分かもしれない。でも、「大人として」そういう夢を見ることは悪くないと思う。僕は彼女たちを見守り励ます良い大人でありたい。


内容を詳細に書くわけにもいかないので、このくらいに。

これで良さ、面白さがじゅうぶんに伝わるとは思えないのだけど、全部で5時間ちょっと、長い映画だと思ってとりあえず観てください。

本物はこの一万倍面白いよ。


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