感想文『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』

ネタバレします。わりと致命的なので未見の方は読まないでください。

あと、若干否定的な感想を含むので、そういうの気に入らない方も読まないでください。

『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は会社の同僚に激推しされて、TVシリーズをネトフリで観たのが去年のこと。

これはほんとうに素敵な作品で、多くの人に観ていただきたい。

とにかく絵が美しい。主人公ヴァイオレットが美しい。そして、軍隊の武器として育ち、戦争で両腕と、いちばん大切なものを失った少女が、手紙の代筆を通して人の感情を知り、自分の想いを言葉にするという物語が美しい。硬い金属製の義手でタイプライターを叩き、風が吹けば舞ってしまう薄く柔らかい紙の上に記号を打ち付ける、その音が美しい。そうしてただの紙片だったものは手紙となり、空間も時間も超えて人と人とを結ぶ、その世界が美しい。

いろんな人が、このエピソードが泣ける、あのシーンがすごいなどなど、いろんな感想をもってこの作品を賞賛している。今回は劇場版の感想なのだけど、僕からもひとつだけ言わせて。

TVシリーズでとても好きなのは、5話の公開恋文のお話。この話数の時点では「なぜかヴァイオレットはやたらと恋文が上手い」ということになっているのだけど、実はこれ以前にオペラの歌詞を書く仕事を請け負ったことがあり、そこでラブレターについて徹底的に勉強した、という話が後に(13話終了後に)エクストラエピソードとして挿入される。

この、ただ代筆をこなしてたら成長できた、みたいなことではなく、ちゃんと勉強して力をつけている、という設定がすごい好き。

さらに、外伝映画でいちばん好きなセリフがヴァイオレットの「定評があります」なんだけど、これは「恋文なんか書けるのか?」(ヴァイオレットの言動にあまりに人間味がないので)との問いに対するヴァイオレットの回答。その即答ぶりに、上記の理由が相まってすごい好き。


とまあ、僕と、僕の周りのけっこうな数の人も含めみんな大好きな『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』という作品の、完結編とされる劇場版の公開だ。否が応でも期待は高まる。

期待は高まる、のだけれど、個人的にはちょっと不安に思っていたことがある。

実はTVシリーズと外伝映画を観たあとくらいに、この作品の原作となる小説を読んだ。「手紙」をひとつのテーマに掲げる作品なので、きっと美しい言葉が並ぶ、素敵なテキストなんじゃないかという期待からだ。実際には文章は勝手に想像してたより硬派じゃなくて、まあまあいわゆるラノベっぽいのだけど、それはいい。

原作で、読んだことをちょっと後悔したレベルでショックだったのは、少佐が生きていたこと。

アニメのTVシリーズでは、どう考えても完全に死んでる。ホッジンズやディートフリートが「実はギルベルトは生きてる」ことを知ってるとかの匂わせもない(小説は知ってる設定)。そして、その冷酷な事実こそが、この物語の陰影を濃くして、光を際立たせている。

と思ってたんだけどなあー、生きてるのかあー。ていうかこの原作から「死んでる設定」に改変した脚本家の吉田玲子ちょっと怖い。というのが原作読んでのいちばんの感想。

そして、劇場版の宣伝が出た時に当然のように湧き上がったのが、まさかコレ(少佐生きてました!)をやるんじゃないのか…という不安だ。むしろどう考えてもそれしかないでしょう。完全に死んでたけど。

というわけで不安は見事に的中して、少佐は生きてました。

いや、この件は不安も含めてある程度予想できたことなので、いいんです。完全に死んでた設定は戦後の混乱に乗じて上手いこと処理したり、ホッジンズが気づくくだりとか、そのあたりむしろ感心した。ホッジンズがギルベルトにキレるシーンとか良かったし、「殴るのは、私が」(すみませんちゃんと覚えてません)も良かった。再会シーンも美しかった。ヴァイオレットの笑顔が見られて良かった。

他にも良かった点はたくさんある。デイジー・マグノリアをストーリーテラーとして起用した構成がすごい好き、とか。これはファンへの阿りだよね。10話はほとんどトラウマだし…。時代の移り変わりを描くにも最高の演出だった。


この劇場版について、個人的にとても残念で、良い作品だったけどもう一回は観ないかな…と思ってしまったのは、まったく別の問題である。これはほんとうに、個人的な感想でしかないのだけど。

頼むから子供を殺さないでくれ。

実際、映画館で観てこのシーンがいちばん泣いたよ。だけど、親を残して子供が死ぬシーンは、なんというかもう、辛すぎるんだよ。病気でずっと入院してる子供、そんな子供と上手く会話できない親、まだ死を理解しない小さな弟、気持ちのすれ違う友人…。お涙頂戴フルセットなのはわかるが、子供が死ぬエピソードの濫用はほんとやめてください。

濫用と言ったのは、TVシリーズの7話でやったじゃん、という意味。7話は全体から見ても大事なエピソードだから致し方ないとして、劇場版のこれは、ちょっとそこまでの必然性を感じなかった。それが余計にしんどかった。もちろん、進行上の必然性だけで物語を作るのはナンセンスではある。でも正直、ユリス死ぬと思ってなかった。いや、死ぬのかなあ、死ぬよなあと思いながら、頼むから死なないでと願っていた。「死んだら渡して」という手紙も、結局は死なないで、ユリス様がご自分で渡してくださいみたいな展開を希望してた。でも死んでしまった。そこでアイリスと電話が活躍するとか、まあいろいろとあるとは思うけど。

もう一回は観ないかな、というより、とてもじゃないけど観れない。ごめんなさい。


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