見出し画像

深い原生林を彷徨い続ける小さな野生動物、小野田寛郎の生態がありました。

映画[ONODA 一万夜を越えて](2021年/アルチュール・アラリ監督)を観る前から、ボクは軍人小野田寛郎の不思議な行動に関心を向けていました。
小野田寛郎は1974年に帰還します。戦時から29年間、フィリピン・ルバング島のジャングルに籠ってゲリラ戦を続けた人です。最後の日本兵と呼ばれ、軍国主義の権化のように扱われたり、素顔の普通っぽさから「幻想の英雄」と呼ばれたりしました。なので、小野田寛郎の人物像は人それぞれだろうと思います。
’72年にグアム島から帰還した日本兵・横井庄一とダブっている方も多いでしょう。横井庄一も残留日本兵というシールを貼られて報道が加熱しました。
帰国時、横井庄一は首(こうべ)を垂れ、「恥ずかしながら帰ってまいりました」と消沈の面持ちで弁を述べましたが、いっぽう、小野田寛郎は眼光鋭く敬礼し、毅然とした態度を崩しませんでした。
ボクが横井庄一よりも小野田寛郎に惹かれたのは、この鋭い眼光です。この人の中で戦争はまだ終わっていないのだろうと推察しました。
たしかにアメリカ軍は現在(2021年)も日本国内に駐留しています。アメリカの要人は日本の許可を要せずに軍用機で飛来し横田基地に上陸します。そして、ヘリで軽々と六本木の米軍施設まで移動、あとは虎ノ門だろうが霞ヶ関だろうが、自由に動きまわることができます。また、日本国内における米兵による犯罪も日本の裁判で裁くことができません。
小野田寛郎が、この状態をアメリカの占領状態だと見なしてもおかしくありません。日本が自律できるまで小野田寛郎の「戦争」は終わらないのでしょう。
彼は陸軍の所属でしたが、前線でドンパチやる兵隊ではありません。特殊任務を指導する陸軍中野学校で鍛え上げられた諜報員(スパイ)です。上官から与えられた任務は秘密戦でした。「どんな戦況であれ、生き延びて情報を収集し、陽動作戦を展開し、敵を撹乱し続けよ」というものです。師団長からは直々に「玉砕はまかり成らぬ」と言明されました。「天皇陛下バンザイ」を叫んで特攻したり自決した日本兵たちとは任務の質が全く違いました。
でも多くの日本人が抱く小野田寛郎という人物の印象は日本兵として典型的なものでしょう。本人の体験や人格よりも軍国主義とか愛国精神とかいうトピックにおいて、大衆が読みたいようにイメージ化したと思います。関連本の出版や特集番組が相次ぎました。
そしてやがて熱も冷めて、横井も小野田もそれぞれの生活を始めます。あれから五十年近くが経ちましたから、二人の容貌も名前も知らない世代が多いと思います。
小野田寛郎は帰国の翌年、結婚してブラジルに移住し牧場を経営します。生活の基盤が安定すると日本で子供たちにサバイバル精神を教える自然塾(1984年)を主宰しました。
映画[ONODA一万夜を越えて ]は、なぜ21世紀になってから製作されたのでしょう。この年月に意味があるのでしょう。とても興味深い出来事です。何かがリンクしています。遠い何かと身近な何かが連関しています。これは肌で感じるボクの直感物語です。
小野田寛郎は帰国してからも任務を遂行し続けたとボクは思っています。(2014年没/享年91)
映画は29年間のジャングル戦(だけ)を徹底的に見つめています。飢え乾き、風が吹き雨が降り、自然の力は圧倒的です。
小野田は島に閉じ込められています。島はひとつの宇宙でした。
そこには深い原生林を彷徨い続ける小さな野生動物、小野田寛郎の生態がありました。人類は愚かですが、ゆえに愛おしい存在だと感じます。
小野田寛郎を演じている二人の日本人俳優、遠藤雄弥と津田寛治が素晴らしい。監督はフランス出身のアルチュール・アラリです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?