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アリフレックスをじゃんじゃんまわして

三十年くらい前の話だけど、ボクは南青山の木造民家で「お座敷劇場 雲呼庵」というのをやってたんだ。あの頃は南青山にもまだ路地が残っていて、下町風情の古い民家が軒を連ねていた。大家さんが改造を許可してくれたから、壁に穴を開けて16ミリ映写機を設置してさ。そのあと、大家さんが土地を売ることになって立ち退きになってしまった。残念だったけど、床が抜けたりトイレが詰まったり電流が不安定だったりと老朽化も深刻ではあった。路地の家々が軒並み地上げされて、今では曲面デザインの斬新なグラスタワーが聳えている。そういえばそのお座敷劇場は毎日のように無観客上映だったな。宣伝もろくにしなかったしね。連日観客数がゼロでした。負け惜しみで言うんだけど、ゼロ観客でも楽しかったよ。映写機に電源入れて、ランプのテストして、プリントのリールを掛けて、フレームの位置と音声も確認して、お茶とお菓子を用意して、お客さんをじっと待つ。畳の部屋の隅に鳥籠を置いてたから、つがいの十姉妹がチュンチュン鳴いていた。上映時間になったら無観客でも映写機をまわす。ボクは映写室にいてガラガラと音を立ててまわる映写機と一緒に本でも読んでいる。そんな無為な時間の流れが今となっては愛おしい。思い出は脳内で美化されて再生されるというからノスタルジックに浸りすぎてもなんなんだけど、センチメンタルな気分も悪くない。[思い出は美しすぎて]と歌ったのは八神純子だったかな。ノスタルジックな気分に浸りたくなるのは現在からの逃避願望なのかもしれない。そうだとしても逃げたければ逃げればいいとも思う。
無観客のお座敷の、ベニヤ板にペンキを塗った自作スクリーンに投影される映画は、ボクたちが撮った[ふと、]という16ミリ作品だった。アリフレックスの16ミリカメラを馴染みのプロダクションから無料で借りて、ドイツのアグファという生フィルムを(交渉して)安く買った。三重県の名張市にアパートを借りてスタッフ・キャスト総勢八人が一ヶ月間ほど合宿した。それは暑い夏だった。伊賀の里・名張の旧市街を徘徊したり、熊野の原生林に分け入ったりした。アリフレックスをじゃんじゃんまわして撮影済みのフィルムを調布の東京現像所に送った。何日か待っていると現像されたラッシュフィルムが返送されてくる。合宿アパートの部屋は狭かったから窓の外の地面に椅子を立てて映写機を置いた。陽が沈んで暗くなってから押し入れの壁に向けて映写した。写っているのは脳天気な気怠い風景ばかりだった。のどかな小さな町でこんなことをしていたから隣人に通報されて警官も来た。「映画とってまあす」と戯けて言ったら警官は面白がってくれた。やがて名張市役所の若い職員とも友達になった。地元の歴史に詳しくてとても利発な青年だった。撮影を終えたら銭湯へ行く。帰り道に伊賀盆地の夕日を眺めた。こういうのも何かからの逃避なのだろうか。

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