見出し画像

ピュアで残酷で不思議な輝き      [ 返校 言葉が消えた日]


[ 返校 言葉が消えた日]映画館の深い椅子に身を沈めて視界いっぱいのスクリーンに包まれていると、いつのまにか時間と場所が失われてしまう。自分自身という主体は闇に溶ける。ボクが誰なのか忘れるし、地図もカレンダーも時計もその存在を主張しなくなる。だから心が乱れたら映画館で映画を観ることにしている。きのうは六本木TOHOシネマズの第6スクリーンに籠もった。ここならけやき坂の蝉時雨はもう聞こえない。


[ 返校 言葉が消えた日]は台湾の気品に溢れた恐怖映画だ。ストーリーをぐいぐい牽引する狂言まわしの役割は主人公のファン・レイシン、18歳の女子高生が務める。新人女優の王淨(ワン・ジン) がとてもいいんだ。振り返ったときのまなざしが凜として強い。それは自我の主張ではなくて不条理への抵抗だ。涙がこぼれるのを我慢している。ピュアで残酷で不思議な輝きを放っていた。


ゴーストやゾンビを扱うとB級ホラー映画というジャンルに区分けされがちだけど、それはテーマや内容の深みを示す指標ではないよね。人生観を揺さぶる哲学的な課題を突きつける恐怖映画は多い。死んだ妻が蘇る[惑星ソラリス](1972年/アンドレイ・タルコフスキー監督)や、悪魔払いの苦悩を描く[エクソシスト](1973年/ウィリアム・フリードキン監督)、死んだ女の平行世界が展開する[マルホランド・ドライブ](2001年/ デヴィッド・リンチ監督)などは、ボクの重要な思考参考書になっている。


[ 返校 言葉が消えた日]の舞台設定は1962年のとある高校。台風の夜、主人公は校舎から出られなくなる。誰もいない学校は特別だ。誰しも居残りの記憶があるだろう。夕暮れの校舎は異次元だったよね。(ああ、あの日に帰りたい。)


当時の台湾は政権によって思想が統制されていた。禁書が指定され、読んではいけない本があった。若い教師と何人かの生徒達は備品室に隠れて禁書を写本し朗読していた。違反行為だ。そして、誰かの密告により拘束される。拷問を受け社会から排斥される。みしみしと不吉な音がして闇の中からは提灯を下げた魔物まで現れる。リアルと霊性の組み合わせが見事だ。


統治の方法は軍や警察の圧力だけでなく、相互監視と密告にある。恐怖と憎悪の感情が高まり、国民同士が疑いの目を向け合うことになる。思慕も初恋も友情も家族愛も邪悪な精神に踏みにじられてしまった。
国家と個人、自己と他者、自由と拘束、正と否、善と悪、光と影、表と裏、陰と陽、意識と無意識、過去と未来、現実と空想。さまざまな対立概念が溶け合うバイオレンスな世界が投影される。


あ、痛い、とても痛い。なんなんだ、何が起きているのだ。ボクの内的葛藤が逆巻いている。


この作品は、台湾映画の名作[悲情城市](1989年/ホウ・シャオシェン監督)と[牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』(1991年/エドワード・ヤン監督)と並び称されている。時代背景だけでなく、人間の正体を暴こうとする映画表現の真摯な態度に共通するものがある。いちばん怖いのは支配者よりも普通の人々の内面なのだ。いちばん美しいのは自然の景観よりも小さな人々の悲しい生活風景なのだ。


映画の原作は小説ではなくパソコンゲーム。ゲームと現実の境界が曖昧になっちゃうらしい。悪夢なのか正夢なのか。没入したら精神が高揚して抜けられなくなる遊戯たったんだろうと映画を観て思った。


https://henko-movie.com/

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?