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「ご縁」の言葉に振り回されない。

旧盆が近づきましたので、少しお盆っぽい切り口で。

男女の対人関係だけでなくて、法人間のビジネスが成立したり、物別れに終わった時に、「ご縁があった、ご縁がなかった」と言ってまとめることがあります。

じゃ、ご縁ってなんでしょう?

歎異抄にちょっとシニカルな言葉があります。

「つくべき縁あればともなひ、
はなるべき縁あればはなるることのある」

→くっつく縁がありゃ、一緒にいるだろうし
離れる縁があれば、バラバラになることだってあるだろう

絆を結ぶだけがご縁ではなく、その反対のご縁もあるようです。
今までを振り返れば、つくべき縁と離るべき縁が折り重なっていた人生だったと思います。
その時は気づけないのですが、後でそういうご縁だったのだとわかります。

それは池の中を泳ぐカエルに似ています。
必死に泳ぎまわっている最中は、浅かったり、冷たかったり、身の回りの様子を逐一わかっても、それがどんな池なのか全体像はつかめません。

池から離れ、小高い丘に登り、眼下を振り返ったとき、そこがどんな池だったか、すなわち、どんなご縁の中で生かされてきたのか、時を経てはじめてわかるのでしょう。

だから、人間関係が目先で揺れ動いたとしても

「素敵なこの人とはつくべき縁だ、イヤなアイツとは離るべき縁だ」

と、その都度、イチイチ決めつけて一喜一憂することはないのです。
ご縁という言葉に振り回されなくて良いのです。

ずっと時が経ってから、ご縁の姿が見えてくるのですから。


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