見出し画像

飯田橋で過ごした新卒3年間の思い出

私が新卒で入社したのは、全国転勤の会社だった。

2017年4月、約250人いた同期は、北は北海道、南は沖縄まで本当に日本各地に散らばった。群馬出身で大学時代を京都で過ごした自分は、漠然とした東京への憧れから、入社前の配属面談で「東京で働きたいです!」と猛アピールした。「大都市圏の方が先進的なことができる」とか「人数多い方が施策を打った時に効果検証しやすい」とか、それっぽいことをたくさん並べたけど、正直そんなことはどうでもよかった。「東京で働けたらかっこよくない?」。たったこれだけだった。

そして私は運良く、飯田橋にある東京支店に配属された。東京支店は営業部隊の人たちが働いているところで、私も法人営業部に所属となった。

飯田橋は、山手線のちょうど真ん中くらいに位置している。駅の周りには法政大学、東京理科大学、日本歯科大学などの大学があり、いわゆる学生街だ。ちょっと足を伸ばせば神楽坂があり、夜は数千円する老舗料理屋が、昼に行けば1000円もしない値段でランチを堪能することが出来る。もちろん飯田橋駅周りにも居酒屋は沢山あって、安いところだと500円で唐揚げ定食を食べることが出来るし、「今日は奮発しよう!」って思えば1000円の豪華刺し盛り定食を食べることも出来た。とにかく食には困らなかった。

2018年4月、社会人2年目の春、先輩からの引き継ぎを追えようやく1人で会社を担当できるようになった。その頃私はかなり忙しかった。大量の事務処理を抱えていたし、よく分からない商材に対してよく分からない問い合わせが来るし、意味のわからない契約書をお客様に説明しないといけないし、「話が違う!」と先輩から引き継いだ企業の担当者に言われるし、本当にてんてこ舞いだった。その時だけは、月残業80時間ペースで仕事をしていて、大分疲れていた。
でも会社から見える綺麗な富士山の景色に癒されたり、980円で食べられる老舗料理屋の親子丼を味わったり、会社の同期や先輩と飲みに行ったり、凄く楽しかった。当時は当たり前のことだと思っていたけど、今思うとそれがすごく幸せなことだったと思う。

2年目の秋、恋人が出来た。相手は会社の同期で、同じ東京支店の人だ。恋人は当時の上司からパワハラ紛いのことをされていて、かなり苦しそうだった。何とかその苦しさを紛らわせたいと思って、飯田橋のスタバで夜遅くまで資料作りを手伝ったり、神楽坂のサイゼリヤで相談に乗ったりしていた。「上司の発言は録音した方がいいよ」と言って、Amazonで買ったボールペン型のレコーダーを渡したこともあった。使い方が難しくて結局録音できなかったけど。

2019年4月、社会人3年目になった。3年目にもなると、自分の下に後輩がついた。自分とは正反対のタイプで、週5回は飲み会に行くし、好きな音楽を訊くと「EDMです!」って言ってくるし、「今度ANAのCAさんに誘われたので商社マンと合コンしてきます!」とか言ってくる。同じ会社に入っている訳だし、大体似たような人間が多いはずなんだけど、この子と大分性格が離れてるな〜と思った。

私は、あまり人間関係が得意とは言えない。もっと正確に言うと、広く交友関係を持つことを面倒くさいと思ってしまう。仲のいい友達とだけ話していたい。そんな内向的な人間が、果たして法人営業なんて出来るのだろうか?と1年目の時は思っていた。たしかに、お客さんと仲良く会話をする、というのはあまり出来なかったかもしれない。でも「お客さんに信頼されていた」という感覚は、少なからずある。直接言葉にして「夕凪さんを頼りにしてます」とか「いつもありがとう」と、こんな若手社員に言ってくれる優しい人も結構いて、正直すごく嬉しかった。自分はコミュニケーションを取ることよりも、頭で考える方が得意な人間だったので、「なんで私が営業!?絶対企画部門の方が向いてる!早く異動したい!」って思っていた。けど、実際お客さんから信頼されたり、感謝されたりするのって、本当に嬉しいことなんだな、と今でも思う。

自分の後輩も「私営業嫌です〜〜」って言ってくるし、自分もそうだったから凄くその気持ちは分かる。でも絶対いい経験になるから、大変だろうけど前向きに業務に取り組んでほしいと思う。悪いことばっかりじゃないから。お客さんと直接接する仕事って、大変だけどその分感謝された時に凄く嬉しいから。もちろんそんなこと恥ずかしくて言えなくて「まあ頑張りな〜〜」としか言えないけど、後輩には私と同じように、飯田橋でもがいて成長してほしい。

話は戻って2019年冬、私は神楽坂のランチをほぼ開拓し終え、最終的に理科大の学食に落ち着いた。学食はとにかく安い。1食400円でお腹いっぱい食べられる。しかも美味くて安い。最高すぎた。この頃は恋人とほぼ毎日理科大の学食に行っていた。ランチのために出社しているといっても過言ではなかった。誰もいないことを確認して、影で手を繋いだりもしてみた。同じ法人営業をしていたから、仕事のことで相談することも出来たし、社内の人の話で盛り上がったりもした。

そして2020年4月、私の会社では3年に1回全国転勤のタイミングがあり、私達4年目社員はまた全国へ散らばった。私は赤坂にある本社へ異動となり、恋人は広島へ異動となった。

今は赤坂で企画の仕事をしている。大学時代ぼんやりと思っていた、高層ビルに囲まれて分析業務なんかしちゃって、というようなことをまさに実行している。

でもなぜかしっくり来ない。飯田橋で過ごした3年間に、今から過ごす赤坂での3年間が敵う気がしないのだ。
恋人と一緒に理科大へランチに出かけることも出来ないし、お客さんから「ありがとう」と言われることもないし、気心知れた同期と和民に行ってつぶつぶ苺カルピスサワーを注文することも出来ない。仲のいい先輩から奥さんの愚痴を聞くことも出来ないし、今までのように本名とは全く違うあだ名で呼ばれることもない。

もちろん赤坂では赤坂なりの楽しみがあると思う。でも、なぜかわからないけど、「飯田橋での3年間には絶対叶わない」と思ってしまう。飯田橋にいた当時は「はやく異動したい〜本社で働きたい〜〜」と思っていたくせに。ありきたりすぎるけど、大切なものって失って初めて気づく。失う前に気づけたらいいのにね。

取り戻すにはもう遅くて、私が考えなきゃいけないのは「赤坂での3年間をどう楽しく過ごすか」ということ。飯田橋みたいに桜が咲いて川が流れる自然豊かな場所でもないし、お昼休みに風情のある小道を散歩できるような下町情緒溢れた街ではないけど、その土地にはその土地なりのいい所があるんだと思う。早く見つけないとな。

最後に、残業終わり何回もお世話になった、ラーメン屋「つじ田」の最高すぎるラーメンを貼っておきます。是非ご賞味あれ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?