愛しき水玉たち

アーバンギャルドとの出会いは10年ほど前になる。「トイレに頬ずりしてる人がいる」と聞き、水玉病のPVを見たのが始まりだった。それから少女は二度死ぬを聞いて、その世界観に驚愕…(よこたんは「寄せ集めで、コンセプトがあるつもりではなかった」と語っているけれど、)アルバムを聞いて1冊の本を読んだような気分になったのは初めてだった。
当事読んだ楽曲解説の、「全国流通にあたり追加された2曲は後日談で死後の世界だ」という内容の記述も衝撃だった。つまり、四月戦争で死んだ少女のその後の話が月へ行くつもりじゃなかっただと……何なんだこのバンドは。私は目からウロコをボロボロとこぼした。(いや、涙だったかもしれない)
その頃にはもうてまきゅんが便器に顔をスリスリしていたことはどうでも良くなっていた。ついでに言うと、天馬が本当に童貞か否かということもどうでも良かった。処女厨童貞厨だった当事の私には珍しいことである。何かしらの共犯者だったのだと思う。

当事高校生だった私も気づけばもうアラサーだ。「アーバンギャルドを聞く大人にはなりたくない!!大好きだけど!!」とかつては思っていたが、今でも1番好きなアーティストだし、これからもそうかもしれない。
普通になりたくて2年ほどアーバンギャルドから離れていた時期もあったが、金髪よこたんの美しさにに惹かれて戻ってきてしまった。そして聞いた曲たち、あたしフィクションや大人病…私は再び目からウロコをこぼした。TOKYO POPも不思議と今の心情にしっくりくるアルバムで、ヘビロテしている。今の日本にピッタリなCD だと思いませんか?(突然の問いかけ)

今までアーバンギャルドは、メンヘラに対して優しさや癒しを提供したことはないという。本当にその通りだと思う。言葉のナイフを向けられながらも、なぜかアーバンギャルドを愛さずにいられない。でもそのお陰でここまで生きてこられた。安く言うと成長することができた。
私の記憶が正しければ、あの日のSHIBUYAで松永天馬氏は、サブカルチャーを抱き締めたのではなかったかな。「革命は内的なものであるべきだ 君の気持ちはわかったよ」と。メンヘラに対して特別優しいわけではないけど、人に対して普通に優しさを持っている。そんなところが好きです。確かにあれは抱擁だった。

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