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Vtuberの中身に対する一意見

(すみません、画像は関係ありません。面白かったので使いました。)

 前にもVtuberに関する記事を書いたのですが、個人的に昔から思っているVtuber観を交えて、Vtuber批判に対する反論というか、意見を述べたいと思います。
 
 私は、Vtuberに対する批判で、Vtuberのオタクは中身を追っているため、生主と変わらないのであって、中身(前世?)の見た目があまり可愛くない、ないしは男である(バ美肉)である可能性についての煽りや、バカにされているというのを見かけますが、他の人々は分かりませんが、私からすればその点についていくつか見解の齟齬が見られます。
 そもそも、私はVtuberについて、そこまで深くファンになったことがないし、Vtuberのオタクがどのようなものか身にしみて分かっているわけではありませんが、私からすれば、Vtuberというのは、見た目(イラストを用いた2D/3Dモデル)、中身(魂)、キャラクター設定がそれぞれ備わって出来たもので、そのどれか一つでも欠けると別のものになると思っています。すなわち、過去にいくつか事例のある、中身が変わってしまったVtuberは元のものとは別ものですし、中身が別媒体で活動していたとしても、それは別人として認識するべきであり、そして所謂「転生」と呼ばれる、活動を終了したVtuberの中の人が、別のVtuberとして再び活動する、というものも、別のものとしてみるべきだということです。
 故に、私は前世、魂という表現は非常に的を射ているなと思っています。そこにいるのはあくまでそのキャラクターそのものではない、ということですから。
 ここが、アニメキャラクターにおける声優との違いです。つまり、アニメキャラクターは、声優が変更されたとしても同じキャラクターですが、Vtuberは違うのです。どちらも演じていることには変わりありませんが、魂を吹き込むのか、魂そのものになるのかという点が異なります。
 これに関して、例えば、「君の名は。」という映画がありましたけれど、この君の名は。に登場する二人の主人公は、女の子と男の子なのですが、中身が入れ替わってしまうわけですね。ここで、元の女の子をA、女の子の体に男の子の中身が入ったものをA'、男の子をB、B'と置きまして、理由は何でもいいのですが、貴方はA'もしくはB'のどちらかと恋愛をしなければならない状況になったとします。子孫を残す必要はありません。つまり、生殖活動を行う必要はないのですが、どちらかと恋愛関係になる必要がある時、貴方はどちらと恋愛をするでしょうか。ただし、相手は見た目、性格共に平均的な女性像、男性像であり、貴方は同性愛者ではなく、貴方は中身が入れ替わる前の相手については面識がないとします(中身が男女入れ替わっていることは知っている)。
 人は見た目ではなく中身だといいますが、貴方は中身と外見、どちらが異性であることを選択したでしょうか。中身が入れ替わっているという情報だけは知っていても、貴方の目には男性的な女性と、女性的な男性にしか見えないと思います。つまりそれは、トランスジェンダーの人と同じ状態とも言えるわけです。これは非常に難しい問題だと言えるでしょう。さて、ここで重要なことは、異性愛者であることを前提とすると、入れ替わる前のA、Bであれば間違いなく、異性である方を選択するだろうということです。つまり、AとA'、BとB'では、見た目は同じでも、全くの別物であり、"ダッシュ記号"以上の違いがあるということです。
 では、Vtuberではどうでしょうか。話している中身が同じ人だからといって、設定、見た目、話し方が違うのであれば、それは別のものと言えるのではないでしょうか。そういう観点から言うと、Vtuberと生身の人間では、恋愛は成立しないように思えますね。少なくとも、そこに一般的な恋愛が存在することは非常に難しく思えます。
 先程、Vtuberとアニメキャラクターは違うと言いましたが、これらに共通する部分も当然あります。それは、演じている、という部分です。声優が担当するアニメキャラクターは当然なのですが、これら二つの1番の違いは、中の人の思考がキャラクターの言動に影響するかしないか、という点だと思うのですが、とは言ってもVtuberそのものと中の人は違います。Vtuberにはキャラクター設定がありますし(設定が希薄なものもありますが)、そもそも完全な素の自分で配信等の活動をすることは殆どありません。それは顔出しをしているの配信者やYoutuberも同じことで、程度に差はあれど、人前に出るときにはキャラを作ります。これは、別にそういった活動をしていない人にもあることです。素の自分かそうでないか、という言い方をよくしますが、大勢の前で話す時、家族と過ごす時、友人と過ごすとき、恋人と過ごす時、嫌いな人と過ごす時、学校や会社で過ごす時、それぞれの自分が全く同じような言動であると言えますか?私は違います。全部自分ではありますけれど、少しずつ、テンションや話し方、一人称や立ち回りが違ってきます。このような、相手関係によって変化する人格を、ペルソナと言うのですが、インターネット等での活動者であれば、当然活動用のペルソナがあるわけです。そしてそれは、複数の活動形態を持つ人であれば、それぞれで違ってきます。活動をしていない人でも、例えばSNSのアカウントを複数持っている人なんかは、それぞれで口調が違ったりする人もいるのではないでしょうか。そして、ペルソナが違う上に、名前も見た目も違うというのであれば、それは全くの別存在と言えます。学校では静かなあの子が、実はネットでは有名なコスプレイヤーで、唯我独尊な言動でファンを獲得していたとして、わざわざ「実は…」と自白されない限り気付くことはないでしょうし、気付いたとしても、周りに言いふらしたりからかったりするのは野暮というものです。
 まあ、これはあくまで私の考え方ですし、どうしても切り離して考えることができないという人も多いとは思います。ただ、中身や前世について、私は全く気になりませんし、転生したとして、転生後には興味がわかないので、私のような考え方を知らなかった、という人には知ってもらえると、なんかいいかもな、というだけの話でありました。

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